デイリーディボーション 8月7日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 8月7日(火)

2013年8月7日(水)

ピリピ人への手紙 1:15-18
15人々の中にはねたみや争いをもってキリストを宣べ伝える者もいますが、善意をもってする者もいます。16一方の人たちは愛をもってキリストを伝え、私が福音を弁証するために立てられていることを認めていますが、17他の人たちは純真な動機からではなく、党派心をもって、キリストを宣べ伝えており、投獄されている私をさらに苦しめるつもりなのです。18すると、どういうことになりますか。つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。そうです、今からも喜ぶことでしょう。

【ポイント】
①「純粋な動機」には細心の注意が必要
教会に限らず、会社、学校のクラブなどの人の集まりでは人と人とのぶつかり合いが起こるものです。しかし、はじめから衝突したいと思っている人はほとんどいません。皆、自分の属する組織をよりよい物にしたいという熱心さから、自分の意見を表明し合い、その結果意見の違いなどの衝突の原因が生まれるのです。皆、自分の考え方にある程度の確信をもっていますから、意見の相違の結果として衝突や分派が起こったとしても、自分が悪いことをしているという意識はありません。組織を良くしたいという純粋な動機から動いていると信じ込んでいるところがあるのです。

しかし、ここに注意が必要です。実は、自分では「純粋」だと思っている行動の背後に、「不純」な動機が隠れていることがあるのです。恐ろしいことは、本人がその「不純」な部分に気づいていないことがあるということです。例えば「自分の能力を認めさせたい」「自分は正しく評価されていない」「他者を支配したい」「グループの中でボスでいたい」などという不満がその背後にある可能性があるのです。ですから、注意が必要なのです。みことばと聖霊によって常に心の中が明るく照らされ、不純な物がないのかを点検する必要があるのです。

②とにかく「福音の前進」を喜ぶ
パウロは教会内での「ねたみ」「争い」「党派心」を容認しているわけではありません。投獄され、自由に動けないくなっている現実の中で、どのような状況であってもイエス・キリストの福音が伝えられていることを喜ぶことを決心したのです。ここにパウロの「純粋さ」をみることができます。パウロは自分の働きが他者から称賛されることなどには全く興味がないということなのです。パウロに敵対し、異端的な教えを説く者がいたとしても、とにかく、一人でも多くの人がキリストを知るようになることを望んでいるのです。

私たちは、信仰生活において何を喜んでいるでしょうか。福音の前進のことについて一日のうち何分ぐらい考えていますか。祈りの中で福音の前進のための祈りの割合はどれぐらいでしょう。

【祈り】
《1テモテ2章》
4神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。

大谷 信道


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