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2013年4月2日(火)
「キリストは私たちに義をもたらすべき従順さを完成させるために苦しまれ、死なれた」
ピリピ 2:8
8自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。
【ポイント】
死を克服した者以外に、いのちを与えることができるものはいません。同じように、ご自分で「義・神様の前での完全さ」を完成させた者以外に、私たちに義を与えることはできません。考えてみれば当たり前のことです。例えば、泳げない人は人に泳ぎ方を教えることはできませんね。英語のネイテイブスピーカーが必ずしも良い英語教師であるとは限りません。なぜなら、彼らは外国語として英語を学んだ経験がないからです。キリストは、人間の体を持ちながら、神様の前での完璧さを全うしたからこそ、私たちに義を与えることができるのです。神様の義について、口で教えることはたやすい事です。しかし、その人が自分で神の義を完成できていなければ、それは信用するに値しません。キリストが他のどのような教師、思想家、教祖と違う点です。キリストは、理想や幻想を語ったのではなく、「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われ」たのです。つまり、神様の義をご自身で成し遂げたのです。それは、別の視点から見ると、キリストが天の父に従順であったということになります。
さらに、先日も確認しましたが神様の決められたルールの上では、罪の贖いのための捧げ物は「傷のない・完全なもの」でなければなりませんでした。神様は人々に、汚れたもので、人の汚れを聖めることができないことを教えられたのです。ですから、キリストが完全なささげものとなるためには、最初から最後まで神様の前に「従順」でなければならなかったのです。
この「従順さ」は、奴隷の主人に対する従順さではなく、子の父に対する愛から来る「従順さ」であることを覚えておきましょう。
【祈り】
ローマ5章
19すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。
ライフチャーチ牧師 大谷 信道