デイリーディボーション 6月25日(火)

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デイリーディボーション 6月25日(火)

2013年6月25日(火)

ヘブル人への手紙 11:35-38
35女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。36また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、37また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、38――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。

【ポイント】
①「信仰」と「この世での苦難」
イエス様は、イエス様に従い、神の国と義を一番にするときに、その結果としてこの世での必要が満たされると教えています(マタイ6:33)。しかし、同時にキリストを信じる結果として、迫害や苦難を経験する可能性についてもはっきりと教えられています。「11わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。12喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」(マタイ5:11-12)、「しかし、これらのすべてのことの前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために、あなたがたを王たちや総督たちの前に引き出すでしょう。」
(ルカ21:13)

②「救い」と「苦難」
11章1節を再び確認します。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
この信仰によって歩んでいないと、目の前で起こる様々な苦難によって、与えられている約束を見失うことになります。自分の人生が自分の願い通りに進まないことにストレスを感じ、自分を責めたり、神様を恨んだりしてしまうのです。イエス様もそのような信仰の歩みに対して注意を与えています。「しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。」
(マタイ13:21)

③「石の上にも三年」、「転がる石には苔は生えぬ」
パウロは驚くほど頻繁に「忍耐」について説いています。忍耐は単なる「我慢」ではあります。神様の約束を信じ、苦難や問題の中にあっても、与えられた使命に取り組み続けることです。教会でもひとつのプログラム、プロジェクトを始めたら、その目的を見失わないように忍耐強く地道な歩みを続けていくことが極めて重要です。信仰の成長にあっても、自分の課題に時間をかけてじっくりと取り組むことが大切です。教会の成長も、個人の信仰の成長も、ちょっとうまく行っていないからといって、コロコロと方針や取り組みを変えてしまってはいけないことが多いのです。なぜなら、人間の目には変化が見えなくても、神様は一人ひとりを導き、成長させ続けて下さっているからです。スポーツでも、音楽でも、一見無意味に思える地味な練習が大切なことが多いようです。地味で苦しい練習がいやで、コロコロと練習プログラム変えてしまう人は、ある程度は上手になるようですが、自己流に陥りその後の成長が止まってしまうことが多いようです。

今日の箇所も含め、聖書の中には困難や迫害にかかわらず信仰の歩みを続けて人達についての証に満ちています。

【祈り】
《ローマ8章》
23そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
24私たちは、この望みによって救われているのです。目に見える望みは、望みではありません。だれでも目で見ていることを、どうしてさらに望むでしょう。
25もしまだ見ていないものを望んでいるのなら、私たちは、忍耐をもって熱心に待ちます。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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