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2013年4月15日(月)
ヘブル人への手紙 5:1
1大祭司はみな、人々の中から選ばれ、神に仕える事がらについて人々に代わる者として、任命を受けたのです。それは、罪のために、ささげ物といけにえとをささげるためです。
【ポイント】
福音書しか知らない人にとっては「大祭司」はイエス様を十字架にかけた「悪玉の親分」ぐらいのイメージしかないかもしれません。しかし、これまでも学んできたように、本来「大祭司」は神様から「任命を受け」た者、つまり、神様の御心によって立てられた者なのです。その職務は①人間の代表として神様に仕えること、②人間のために、とりなすことです。つまり、神様の人間の関係の接点となっているわけです。ですから、大祭司は神様の御心を求め、同時に人間の思いを理解することが求められたわけです。
残念ながら、福音書には、この神様から与えられている権威を悪用する大祭司の姿が記されています。特権を悪用する方法は簡単です。神様との交わりを「儀式化」すれば良いのです。その儀式をとり行うことができる者が「大祭司」「聖職者」だけに限定する戒律をつくれば、そこに強大な特権が生まれます。残念ながら、キリスト教会の歴史の中でも「バプテスマ(洗礼)」「主の晩餐(聖餐式)」が聖職者のみが執り行う事ができる儀式とされ、教会(聖職者)が大きな権威を手にするという出来事が起きています。
今や、人間として地上に遣わされ、人間として私たちを理解できる方としてイエス・キリストが「大祭司」として立てられているのです。神様とあなたとの真のとりなし手は、人間の大祭司ではなく、イエス・キリストなのです。イエス様が神でありながら、人間として地上に遣わされたゆえに、かつてイスラエルの民が憐れみ深い大祭司と直接交わることができたように、私たちはキリストとの愛の交わりを持つことができるのです。かつて、民と神の唯一の接点が大祭司であったように、大祭司であるキリストが私たちと神様との唯一の接点であるという事にもなるのです。
【祈り】
《ヘブル7章》
24しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。
25したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
heb 7:26
ライフチャーチ牧師 大谷 信道