デイリーディボーション 4月29日(月)

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デイリーディボーション 4月29日(月)

2013年4月29日(月)

ヘブル人への手紙 6:13-15
13神は、アブラハムに約束されるとき、ご自分よりすぐれたものをさして誓うことがありえないため、ご自分をさして誓い、14こう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し、あなたを大いにふやす。」15こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

【ポイント】
①アブラハムは私たちのための模範であり、神様からの祝福の証人である。
アブラハムは普通の人でした。神様は彼を信じる者が受ける祝福についての良い見本とするために、普通の人であるアブラハムを選びました。もし、アブラハムが超人的であったとしたら、彼の経験は私たちの模範にはなりません。漫画みたいなものです。憧れの対象であったとしても、決して模範にはなりません。しかし、パウロもヘブル書の著者もアブラハムは私たち普通の人間の従うべき模範として取り上げているのです。

②アブラハムの信仰は約束された祝福を忍耐して待ち続けたことにある
最近はあまり見ない気がしますが、昔は幼い子どもが誕生日を待ちきれずに、デパートのおもちゃ売り場で「今、買って!」と泣きわめく姿を見かけました(私もその1人でした)。大人も各種ローンの普及のために、お金が貯まるのを待たなくても自分の欲しい高価な物品を手に入れることができるようになりました。世の中が便利になるにつれ、大人も「忍耐」を学ぶ機会を失いつつあります。ですから、大人の中にも待たされることを我慢できない人、強いストレスを覚える人が急増しています。

③「我慢」と「忍耐」の違い
ここで、私たちが注意しなければならないことは、神様は確かに「祝福」を約束してくださっているということです。神様は「祝福が無くても、我慢して生きていきなさい」と言っているのではありません。誕生日を待てない子どもの幼稚さの理由は、誕生にになれば必ずプレントがもらえる約束があるのに、それを待てないことです。誕生にプレゼント無しで我慢しろと言っているのではありません(もちろん欲しいものがなんでも与えられるわけではありませんが)。私たち、キリストを信じるものは、いずれ天上で神様の資産を受け継ぐ約束が与えられています。その約束を信じ、忍耐強く待ち続けることが求められています。これが「信仰」なのです。神様を信頼するものは、約束を待ち続けることができるからです。

クリスチャン生活の中で経験する様々な悩みや葛藤を経験します。中にはとても複雑に思える問題もあるかもしれません。しかし、その本当の原因を探っていくと、単純に「忍耐」が欠けているだけというケースがあるのではないでしょうか。つまり、自分が単なる「だだっ子」であったことが問題の根本的な原因である可能性があるということです。

自分が「だだっ子」であることを認めることは辛いことでしょう。でも、そのことを神様の前で認めてしまえば、あとは、「信仰に基づく忍耐」を身につける練習をするだけです。

【祈り】
《ヤコブ5章》
9兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。
10苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
11見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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