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2013年4月30日(火)
ヘブル人への手紙 6:16-18
16確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のための誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。17そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。18それは、変えることのできない二つの事がらによって、――神は、これらの事がらのゆえに、偽ることができません――前に置かれている望みを捕らえるためにのがれて来た私たちが、力強い励ましを受けるためです。
【ポイント】
6章は「ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。」というヘブル書の著の励ましのことばから始まったのを覚えているでしょうか。彼はその励ましの根拠である「祝福の約束」について説明を続けています。
①アブラハムへの約束は、今やキリストを信じる者の約束でもあり、今日も変わることがない。
著者はアブラハムに対する祝福の約束はすべての人間に向けられている約束であったことを思い出させています。「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:3)それでは、この約束が真実なものであったことをどのようにして知ることができるのでしょうか。それは、神様は子どもが1人もいなかった75才のアブラムに彼の家族が「大いなる国民」となる約束をされ、彼に「アブラハム・多くの人の父」と名乗らせ、25年後にアブラハムが100才になる時にイサクを与えられたことによって、ご自身の約束の確かさを証明されました。これは、アブラハムの個人的な祝福のためではなく、「地上のすべての民族が祝福される」約束が確かなものであるということを示すための方法だったのです。
②アブラハムが「信仰の人」と呼ばれる理由から、聖書が教える「信仰」の意味が分かる
使徒パウロはアブラハムを「信仰の人」(ガラテヤ3:9)と呼びました。アブラハムのどの点が彼を「信仰の人」と呼ばせたのでしょうか。アブラハムは「多くの父」になる約束のうちのたった1人しか与えられませんでした。つまり、彼は生きている間たった一人の父(サラとの間の子)だったのです。しかも、その一人の子が与えられるのに25年もかかりました。アブラハムは「神の存在」を信じたのでも、「個人的な祝福」を信じたのでもなく、「神様の御心が実現すること」を信じ続けたのです。
ここで極めて重要なポイントがあります。それは、アブラハムは約束の実現を見ずに死んでいったのです。あなたは、神様が自分の祈りや願を聞いてくれていないという不安や不満を覚えることはないでしょうか。「自己実現」、「自分の夢」のために神様を利用しようとする人にとっては、祈りの答えを生きている間に見なければ気が済まないでしょう。しかし、思い出してください。アブラハムは「多くの父」どころか「1人の父」として死んでいったのです。地上の人間は誰一人として、アブラハムを「多くの父」として称賛する者はいなかったでしょう。
それでもアブラハムは神様の御心の実現を忍耐強く、信じ続け、必ず神様の御心が実現することを信じ、そのことを喜びとして行き、死んでいったのです。これが「信仰」なのです。しかし、そこに本当の「祝福」があるのです。
ですから、ヘブル書の著者は11章1節が響くのです。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」
つまり、望んでいる事柄とは、神様の「御心」だということを忘れてはならないのです。信仰の人アブラハムの「一番の願い」は「神の御心実現」でした。それでは、あなたの「一番の願い」は何でしょうか。「自分の夢の実現」ですか、それとも「神の御心の実現」ですか?
【祈り】
《マタイ6書》
9だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
10御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道