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2014年10月17日(金)
2コリント 8:9-11
9あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。10この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それはあなたがたの益になることだからです。あなたがたは、このことを昨年から、他に先んじて行なっただけでなく、このことを他に先んじて願った人たちです。11ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。
【ポイント】
①「ささげもの」は義務ではない
パウロは先の8節で「私は命令するのではありません。」と、ユダヤの教会への募金を強要しているわけではないことを強調し、10-11節でもこの募金はコリント教会の人々が自発的に行おうと計画していたものであったことを確認しています。「ささげもの」については、自分が所有している金品に執着し、出し惜しむことも神様に喜ばれないのですが、充分にささげていたとしても、そこに義務感が伴う律法主義的なものであっても、神様から喜ばれません。たとえば、イザヤ書1章にはこのようにある通りです。「11『あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう』と、主は仰せられる。『わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。12あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。』」
どうでしょうか。神様に喜ばれるささげ方のポイントをつかむことができたでしょうか。詩篇51篇に聞きながら、自らを振り返る時としましょう。
【祈り】
《詩篇51篇》
16たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。
17神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道