デイリーディボーション 7月1日(月)

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デイリーディボーション 7月1日(月)

2013年7月1日(月)

ヘブル人への手紙 12:4
4あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

【ポイント】
①「迫害」と「罪の誘惑」の目的は同じ
信仰の戦いは「迫害」との戦いだけでではありません。「誘惑」を受けても罪を犯さないという戦いがあります。しかし、この2つは全く無関係ではありません。キリスト者への迫害の本質は、キリストを神と信じる者の信仰を捨てさせ、自分たちの信じる偶像、支配者を崇拝させるための行為です。「誘惑」の本質も同じです。誘惑者はキリスト者をだまし、罪を犯させ、神様から離させようとするのです。かつてローマ兵たちは、キリスト者を真冬のi凍てつく湖に入れ、岸辺では風呂を炊き、キリストへの信仰を捨てれば、今すぐに暖かい風呂に入れると誘惑するという手法を用いたと言われています。

罪の問題は不適切、不道徳な行為を行うこと、律法に違反することだけにあるのではありません。その行為によってクリスチャンの心が神様から離れていくことにあります。イエス様のことばに従うよりも、自分の心や体を喜ばせることを選ぶ時に、私たちは自分の犯した罪を後から悔み、神様の愛と赦しを信じられなくなり、自分から神様のもとを離れてしまうという、最も愚かな行動に導かれてしまうのです。これが、誘惑者の作戦なのです。私たちは、この作戦に引っかかってはならないのです。もし、引っかかっても放蕩息子のように、神様のもとへ立ち返ることができるのです。神様は常に同じ赦しをもってあなたを忍耐強く待ち続けて下さるのです。ですから、勝手に自分を裁いたり、神様のもとを離れてはならないのです。

②罪と戦う方法
上のことを考え合わせれば、答えは明らかです。どんな失敗を犯しても、どんな罪を犯しても、絶対に神様から離れないことです。もちろん、罪を犯さないように自分の欲望と戦うことの大切さは言うまでもありません。しかし、私たちは多かれ少なかれ、必ず罪を犯してしまうのです。ですから、罪を犯してしまった時の対策を知っておく必要があるのです。罪を犯してしまっても、神様に立ち返るという道が残されている事を忘れてはなりません。神様から離れて行きたくなる思いに抵抗し、神様のもとに踏みとどまるのです。

【祈り】
《ローマ8章》
35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷信道


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