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2013年5月3日(金)
ヘブル人への手紙 7:4-6
4その人がどんなに偉大であるかを、よく考えてごらんなさい。族長であるアブラハムでさえ、彼に一番良い戦利品の十分の一を与えたのです。5レビの子らの中で祭司職を受ける者たちは、自分もアブラハムの子孫でありながら、民から、すなわち彼らの兄弟たちから、十分の一を徴集するようにと、律法の中で命じられています。6ところが、レビ族の系図にない者が、アブラハムから十分の一を取って、約束を受けた人を祝福したのです。
【ポイント】
これまで学んできたように、ヘブル書の著者がメルキゼデクがいかに偉大な祭司であるのかを理解する理由は、その「予型」の成就であるイエス・キリストがどれほど偉大であるかを理解することにあります。
①「考える」ことの大切さの理由
「考えてごらんなさい」という呼びかけは、すべてのクリスチャンに向けられた呼びかけです。言うまでもなく、ここで大切なことは考える「考える」という行為自体ではなく、その「内容」です。つまり、キリストの偉大さについて私たちはどれだけ考えいるのかということです。別の言い方をすれば、あなたが聖書を学ぶ時、「キリストの偉大さを知りたい」という正しい動機から行なっているのかを問われているということでもあるのです。これが、ヘブル書の著者の「考えてごらんなさい」という呼びかけに込められた思いなのではないでしょうか。
②「考える」理由は教えることが出来るようになるため。
ヘブル書の著者は5章12節で「あなたがたは年数からすれば教師になっていなければならないにもかかわらず、神のことばの初歩をもう一度だれかに教えてもらう必要があるのです。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要とするようになっています。
」と教えていたことを覚えているでしょうか。イエス様も大宣教命令(マタイ28:20)のなかでこのように言われています。「また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」
弟子訓練のゴールの一つは、訓練を受けたものが教えることが出来るようになることです。どの分野でも師匠は単なる知識や技術を教えるだけでなく、次世代の師匠を育て、技術、知識、伝統を継承させていくという大きな責任を負っています。同じように、すべてのクリスチャンは教えられた福音をよく考え、整理し、福音を知らない人に分かりやすく伝えていくという責任をイエス様から委ねられていることを心に刻み付ける必要があります。そのために、イエス様の素晴らしさをどれだけであるのかを常に「考える」ことが求められているのです。
【祈り】
《エペソ3章》
17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道