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2012年10月13日(土)
ヨハネの福音書 7:45-52
45それから役人たちは祭司長、パリサイ人たちのもとに帰って来た。彼らは役人たちに言った。「なぜあの人を連れて来なかったのか。」46役人たちは答えた。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」47すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。48議員とかパリサイ人のうちで、だれかイエスを信じた者があったか。49だが、律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」50彼らのうちのひとりで、イエスのもとに来たことのあるニコデモが彼らに言った。51「私たちの律法では、まずその人から直接聞き、その人が何をしているのか知ったうえでなければ、判決を下さないのではないか。」
52 彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤの出身なのか。調べてみなさい。ガリラヤから預言者は起こらない。」
【ポイント】
当時のユダヤ人宗教指導者達の有様がよく伝わってきます。神を信じ、律法に精通している指導者達が堕落し腐敗してしまった原因はどこにあるのでしょうか。似たような出来事はユダヤ教だけではなく、キリスト教の歴史の中でも繰り返し行われてきました。その原因の一つは、指導者達が富、地位、名声、権力を得ることを最優先事項に行なってきたことにあります。大祭司のグループは神殿での両替や犠牲にする動物の販売で多大な利益を手にしていたとも言われます。ですから、自分たちの権益を脅かすような存在であるイエス様は大変目障りな存在だったわけです。聖書の中に、このような良い見本がありながら、カソリック教会の中でもヒエラルキーの上部にいる人達が既得権益を守るために、聖書よりも自分たちの伝統や習慣を崩そうとしない姿勢が明らかです。言うまでもなく、この世の政治の世界、役人の世界でも同じことが起こっています。ヒエラルキーの頂点を目指して努力を重ねたのだから、大きな利益を得ることは、自分の行いに対する正当な報酬であると感じている人も少なからず存在するでしょう。
確かに、すべての人間が罪の性質を持っている結果と考えれば宗教指導者の腐敗も理解出来ないことはありません。しかし、ここで私たちが見るべき、ユダヤ教の腐敗のもう一つの理由は人々の聖書に対する無知です。かつてのカソリック教会の腐敗(現代のどの教会でも起きうることですが・・)の原因も同じです。聖書のことばから離れれば、私たちは必ず間違った方向へと進んでしまう生き物なのです。今日のパリサイ人の「律法を知らないこの群衆は、のろわれている。」という発言からも、パリサイ人が聖書よりも律法を教えることに熱心であったことがわかります。「律法」とは聖書の律法だけでなく、歴代の教師たちの「言い伝え」、自分たちで作った細則も含んでいるわけですが、パリサイ人たちは自分たちが作り上げた細則を人々に教え、押し付けていたわけです。その結果として、皮肉なことに人々の聖書離れが起こってしまったのです。人々は何が聖書の律法で、何が後から人の手によって作られた細則であるのかも分からなくなっていたのでしょう。実際、聖書の律法だけを見れば、イエス様が律法を犯していないことは明白だからです。ユダヤ教も含め、キリスト教の歴史を見れば、聖書から離れるときに、教団、教会が腐敗していくことがよく分かります。
ですから、今週のジョン・ヘリング牧師のメッセージと聖書箇所は私たちにとって大変重要なものなのです。第二テモテの3章16-17節を再度確認しましょう。
「16聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
17それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」
私たちが聖書から離れるとどの様な悲惨な状態に陥るのかを、ユダヤ人指導者達の姿から学びましょう。
【ポイント】
「神様、今日もあなたのことばに聞きます。あなたのことばをいい加減に聞いたり、自分の頑固さのためにあなたのことばを約束として受けれない時に、いつも問題が発生してしまうことに気が付かされました。聖書よりも、自分の価値観、生き方を優先させていないか気付かせてください。パリサイ人のように自分が絶対と思い込んでいることが、あなたの御心でないことがあることに気が付かせてください。聖霊の光によって私の心の隅々まで照らし、あなたの光を遮り、影を作っているものを明らかにしてください。そして、それを捨て去ることが出来るように励ましてください。イエス様のお名前で祈ります。」
ライフチャーチ牧師 大谷 信道