デイリーディボーション 10月28日(火)

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デイリーディボーション 10月28日(火)

2014年10月28日(火)

2コリント 10:3-6
3私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。4私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。5私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、6また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。

【ポイント】
①「肉」は魅力的
イエス様は、マタイ7章で次のように教えられました。「13狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。」このメッセージは、救いを得ることの難しさを教えているだけではありません。むしろ、霊的な出来事についての一般的な傾向を警告として与えられているのではないでしょうか。つまり、霊的に真実な道は、この世では魅力的に見えず、「肉」には響かなということなのです。この世の肉に従って生きる人達は、自分たちにとって魅力的に見え、進むのが楽な「大きな門」「広い道」を選びたがり、その結果、多くの人が滅びに向かっているということなのです。

この真理は、救い以外にも見ることができます。例えば、「愛」と「恋」です。愛はどのようなことがあっても、互いに赦し合い、認め合い、受け入れ合い、一致を保つ約束です。ですから、愛を実践し続けることには多くの痛みや、困難、忍耐が必要となります。一方「恋」にはそのような約束は伴いません。好きだと思った時に恋が始まり、嫌だと思ったら終わりにすればよいのです。そして、私たちがよく知っているように、イエス様が教えられている人間関係、婚約関係、夫婦関係は愛であって、恋ではありません。相手の嫌なことろが見つかったとしても、それがすぐに変わることがないとしても、その現実を受け止めることができるのが愛の力なのです。ですから、恋は楽しそうに見えますが、長続きしません。一方、愛は重苦しくさえ感じることもありますが、その祝福は永遠に続くのです。

私たちは、肉に従ってあゆむ時に、目先の楽しさ、目先の利益、目先の結果を求める傾向があります。でも、そこから得られる喜びは長続きしないのです。しかし、神様の御霊に従ってあゆむ時に、その歩みは自分にとって好ましく思えないこともあるでしょう。しかし、そこには神様の絶大な力が働くので、歩み続けることができるのです。これがパウロの言う「従順」なのです。勉強も、スポーツも、仕事も、子育ても、夫婦関係もその歩みは、地道な苦労、努力の積み重ねによってのみ実を結ぶことは、普遍的に知られている事実です。私たちクリスチャンは、この大変な歩みを、自分の肉に従ってではなく、神様の御霊に従い、力を与えられながら進めていくことができるのです。

【祈り】
《ガラテヤ5章》
22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
24キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。
25もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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