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2014年10月7日(火)
2コリント 7:1
1愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
【ポイント】
①深刻な問題
6章の最後を見ると、コリント教会のある人達が、クリスチャンになる前の異教的な習慣、価値観などから離れることができないという問題を抱えていた事が分かります。しかし、その問題は、ある人達が偶像礼拝から離れることができず悩んでいるというようなものではないことが想像できます。なぜなら、もし彼らが本当に異教的な偶像礼拝などから離れたいと願っていたとしたら、パウロの教えにつまずいたり、反発したりする必要はないからです。パウロに反発しているという事実は、自分たちが慣れ親しんできた異教的な教えや習慣とイエス・キリストの福音を混ぜあわせてしまおうと考える人たち、イエス様の福音を自分の都合の良いように変え、その教えを正当化しようとするという深刻な問題が教会の中で起きていたことを示唆しています。教会の外ではなく、教会のメンバーの中にそのような人たちがいたということは、大変深刻な問題だったわけです。
②「いい人」とか「悪い人」という問題ではない
コリント教会の中には聖書の教え、倫理的に明らかに反し、みだらな行いをする「悪いひとたちたち」がいました。しかし、あるキリスト教の異端グループに属している方と個人的に接する機会が時々ありますが、そのほとんどの人がとても、親切で、礼儀正しい、「良い人」たちなのです。つまり、異端の問題の本質は、そのメンバーの倫理的な水準の高い低いの問題ではないことが分かります。本当に大切なことは、「神を恐れかしこむ」こと、つまり、神様のことばを謙虚に、正直な気持ちで聴くことにあるのです。もちろん、その結果として神様の望まれる聖い者へと変えられていくことになるわけですが、もっと大切なことは聖書のみことばを神様のことばと信じ、謙虚に聴くことなのです。
私たちに求められている「聖さ」とは、必ずしも表面的な正しさを求めることではなく、神様を恐れ、神様のみことばに謙虚に聞き続けることだということを覚えておきましょう。
【祈り】
《ヨブ記28章》
28こうして、神は人に仰せられた。「見よ。主を恐れること、これが知恵である。悪から離れることは悟りである。」
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道