デイリーディボーション 6月17日(月)

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デイリーディボーション 6月17日(月)

2013年6月17日(月)

ヘブル人への手紙 11:17-19
17信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。18神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、19彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。

【ポイント】
①神様の計画(約束)を信じる
19節の「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」ということば何を意味しているのでしょうか。キリストの復活を経験している私たちであれば、死者の復活を期待する事はできるでしょう。ヘブル書の著者の真意はアブラハムが死者の復活という具体的な信仰を持っていたという説明をしようとしているところにあるのでしょうか。このような点について議論を深めることは大変重要なことですが、もう少し単純に考えることも大切です。アブラハムが死者の復活の信仰を持っていたかどうかという疑問よりも、アブラハムが神様がご自身の計画を成し遂げる方であることを信じていた点のほうがはるかに重要なのです。

イサクの誕生はアブラハムが「多くの父」となるという方法で「全人類の祝福」が実現していくためのプロセスでした。そして、それは神様の一方的な計画によるものでした。アブラハムはその点について、神様に対して極めて忠実でした。人間的に考えれば、もしイサクが死んでしまえば、神様の計画は台無しになると思います。ですから、神様はそのようなことをするはずはないという、ある意味勝手な「信仰」に陥るかもしれません。アブラハムはそのような勝手な「信仰」を持っていたわけではありませんでした。イサクがいなくなっても、神様の計画は必ず成し遂げられると信じたのです。ですから、本気でイサクを諦め、自分の手で殺す決意をしていたのです。神様が助けてくれて、自分の思った通りの結末が与えられるというような期待は持っていなかったのです。

②アブラハムの何を見倣うべきか
それは、神様の計画について忠実だったことです。多くのクリスチャンは「自分はイサクのように自分の子どもを捧げることができるだろうか?」と考え、「無理だ。」という結論に達し落胆します。また、あるクリスチャンは「聖霊に満たされれば必ず同じ事ができる!」と考えます。しかし、その思いの奥には「自分もアブラハムのような信仰のヒーローになりたい」という思いが潜んでいたりします。聖霊の話をしながら、結局自分の信仰的な成功を望んでいる自分に気がついていない場合が多いのです。大切なことは、私たちの役割が何であれ、神様の計画の実現に参加させていただいていることを喜び、そのような形であっても、神様の御心が行われることを喜ぶことではないでしょうか。

③正しい絶対無私
間違った支配者は、平和・繁栄などを大義名分にし、人民に「絶対無私」を押し付け、国のために奉仕することを強要し、その裏で私利私欲の実現しようとします。しかし、天の父の計画は全く違います。確かに、天の父の究極的な目的は、神の国の国王として、その国民から栄光を受けることです。しかし、その支配は「恐怖」「強制」「義務」を伴うものではありません。国民は自分で選んでその支配の中に生きる者たちです。何一つ、強要されることはありません。自分の栄光ではなく、神様の栄光を求めるという、本当の意味での絶対無私の中に生きるのです。しかし、その結果として、大きな祝福が与えられるのです。この神の国の不思議な法則は今も変わることはありません。

【祈り】
《マタイ10章》
39自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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