デイリーディボーション 5月6日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 5月6日(月)

2013年5月6日(月)

ヘブル人への手紙 7:11-17
11さて、もしレビ系の祭司職によって完全に到達できたのだったら、――民はそれを基礎として律法を与えられたのです――それ以上何の必要があって、アロンの位でなく、メルキゼデクの位に等しいと呼ばれる他の祭司が立てられたのでしょうか。12祭司職が変われば、律法も必ず変わらなければなりませんが、
13私たちが今まで論じて来たその方は、祭壇に仕える者を出したことのない別の部族に属しておられるのです。14私たちの主が、ユダ族から出られたことは明らかですが、モーセは、この部族については、祭司に関することを何も述べていません。15もしメルキゼデクに等しい、別の祭司が立てられるのなら、以上のことは、いよいよ明らかになります。16その祭司は、肉についての戒めである律法にはよらないで、朽ちることのない、いのちの力によって祭司となったのです。17この方については、こうあかしされています。「あなたは、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司である。」

【ポイント】
今朝はちょと別の観点から学びます。

①聖書の勝手な解釈はNG!
再び、詩篇110篇4節の「あなたは、メルキゼデクの例にならい、とこしえに祭司である。」
からの引用を見ることができます。つまり、神のことばである聖書に「メルキゼデクが祭司」であると書かれているのであれば、アロンの子孫以外に、しかもアロンよりも前に神様によって正式な祭司が立てられていたという事実を否定することは誰も否定することはできません。特に、福音書からも明らかなように、当時の大祭司は極めて大きな権限、利得を手にしていましたから、自分たち以外に正式な祭司が存在することは、たとえ詩篇に記されていても積極的に肯定するはずがありませんでした。自分たちの都合に合わせ聖書を勝手に解釈するということは、ユダヤ教のだけでなく、キリスト教の歴史を見れば明らかです。

②ヘブル書の著者のみことばに対する真摯な姿勢から学ぶ
110編に真剣に向き合い、その意味を追求しようとすると次の問題に答える必要があります。それは、「メルキゼデクの位に等しい祭司」とは誰なのかという問です。しかも、その祭司は「とこしえ」に存在するという性質を持っているわけです。そして、それは死よりよみがえり、永遠に生き続けるイエス・キリスト以外に当てはまる存在はいないという結論に達するわけです。

イエス・キリストが大祭司である必要性、意味については、これからさらに深く学んでいきますが、イエス様が大祭司としてわたしたを常にとりなしてくださっていることを、今朝も覚える時としましょう。

【祈り】
《ローア8章》
34罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。
35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。

アーメン

ライフチャーチ牧師、大谷 信道


side_worship side_info