デイリーディボーション 7月13日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 7月13日(土)

2013年7月13日(土)

ヘブル人への手紙 13:4-6
4結婚がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行なう者とをさばかれるからです。5金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」6そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」

【ポイント】
①「聖い」ふりをする必要はない
不倫(正式な結婚関係以外での性的、それに類する関係)の問題、金銭に対する欲望の問題は、ほとんどの文明社会の中で「悪」と考えられています。そして、日本も含め、ほとんどの社会の中で実際に起きている問題です。特にイエス様が教えられた基準から考えると、これらの問題に全く関わったことがないと言える人は一人もいなくなるはずです。「27
『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。28しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5章)
ですから、大切なことは、自分がこれらの問題と無関係であるという立場に立ったり、問題がないふりをしないことです。

②裁き合わない、勝手に裁かれていると感じない
私たち教会に与えられている課題は、キリストへの信仰によって罪が赦された者として、互いに赦し合い、罪を犯さないように励まし合うことです。ここに、謙虚さが求められます。自分が完全だと思い込んでしまった人、自分が人よりも聖さを多く身に着けていると思い込んでいる人は、他者を裁いてしまう傾向があります。しかし、私たちは神様の恵みと憐れみによって赦されているだけであって、自分の聖さ、義は決して自分の努力で手に入れたものではないことを忘れてはなりません。また、クリスチャンになってから少しずつ罪を犯さないものへと成長していったとしても、それに多くの時間がかかったことも忘れてはなりません。このような謙虚さの中に生きる時、私たちは他人を評価したり、裁いたりするという未熟さから自由にされていくのです。

他人を裁くことが無くても、自分を裁き続けてしまうクリスチャンもいます。真面目でプライドの高い人ほどその傾向が強いようです。自分の罪深さに我慢できず、実際の自分の姿を受け入れることができず、自分を裁いてしまうのです。また、具体的な衝突などがなくても、周りのクリスチャンから裁かれているような感覚を強く持っていたりすることがあります。自分だけが罪深い人間に見えてしまうからです。この現象からも、自分の現実の罪深い姿を受け入れることによって、つまりプライドを捨てることによって自由にされます。しかし、なぜそのような罪深い自分を受け入れ、愛することができるのでしょうか。ここに福音があるからです。つまり、神様が罪深い私たちを愛して下さっているからです。

③健全な励まし合いを追求する
自分の罪深さを隠さず、聖く正しいフリもせず、他人も自分の裁かないという前提、つまりキリストの恵みと憐れみという土台が健全な教会の鍵です。この土台の上にキリストにある健全な教会が建てられていくのです。「偽善」「裁き合い」は宗教熱心だったパリサイ人も陥ってしまった典型的な過ちです。しかし、恵みと赦しのなかで、依然として神様の聖さを求めていくことは可能なのです。キリストの恵みと赦しを実践する中で、つまり、キリスト共に歩むことによって裁き合いではない、励まし合いが実現できるはずなのです。これが、私たちライフチャーチ、そしてすべての教会に与えられている課題の一つなのです。

【祈り】
《ローマ13,14章》
13:12夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
13遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
14主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
14:1あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。
2何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。
3食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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