デイリーディボーション 7月26日(金)

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デイリーディボーション 7月26日(金)

2013年7月26日(金)

ヘブル人への手紙 13:22-23
22兄弟たち。このような勧めのことばを受けてください。私はただ手短に書きました。23私たちの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼といっしょにあなたがたに会えるでしょう。

【ポイント】
①何に対する「勧め」なのか
これまでの文脈、テモテの投獄の記述などから考えると、この手紙は迫害によって「礼拝」「交わり」「伝道」が困難になり、教会から離れたり、互いに疑心暗鬼になってしまったり、集まることを止めてしまいそうになっているクリスチャンに対しての勧めであることが分かります。10章23-25節を振り返ってみましょう。

「23約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
24また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。25ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」

現代の日本にはキリスト者に対する大規模な「迫害」は存在しません。もちろん、自分の信仰決心に対して家族から反対をうけたり、伝道をする時に、友人から拒否される時は精神的には辛さを覚えます。しかし、例えば、この世で営業職に就いている人は毎日似たような経験をしているわけです。ですから、私たちが経験する困難は、1世紀のクリスチャンが経験している迫害とは似ている部分があったとしても、実は全く質の違う者であることを覚えましょう。

②しかし、私たちも「勧め」が必要
現代で投獄を伴うような迫害があれば、もしかすると私たちクリスチャンは目を覚まし、命懸けで伝道をするものへと変えられるかもしれません。信仰決心をし、バプテスマを受け、教会のメンバーになるというプロセスも、逮捕、投獄を覚悟する必要が出てきますから曖昧な思いで信仰の歩みを始めることも無くなるかもしれません。

それでは、現代には信仰から離れさせようという力は働いていないのでしょうか。そうではありません。これまで何度も触れてきたように、現代の日本では「キャリア」「職業」が大きな誘惑となっています。自分の仕事、キャリアに自分の人生を捧げることが「美徳」とされる現代の日本の社会のなかで、キリストに人生を捧げ、それに相応しい生活をしていくことは、実は大変な困難が伴います。キリスト者として何を一番にするのか、その順番を間違えたまま、間違えていることに気が付きもしないで歩んでいるクリスチャンが大勢存在します。

ですから「勧め」が必要なのです。「神の国と神の義を一番とし、キリストの弟子として、キリストに人生を捧げて歩んで行きましょう!」という勧めです。ヘブル書の多くの「勧め」が聞き心地のよいものでなかったように、この勧めも聞くものによっては、難しさを感じるものでしょう。しかし「勧め」を止めたり、水で薄めたような「勧め」に変えてしまったりしてはならないのです。

あなたは、きたるべき時にキリストにお会いする時に、あなたは胸を張って「成果に関しては自身はありませんが、家庭においても、職場においても、間違いなくあなたを一番にして生きてきました!」と告白することができるでしょうか。このために、「勧め」が必要なのです。互いにキリストを一番にしていくことができるように励まし合うのです。

【祈り】
《マタイ6章》
24だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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