デイリーディボーション 8月9日(金)

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デイリーディボーション 8月9日(金)

2013年8月9日(金)

ピリピ人への手紙 1:21-24
21私にとっては、生きることはキリスト、死ぬことも益です。22
しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいのか、私にはわかりません。23私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。24
しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。

【ポイント】
①パウロのコメントに感激している場合ではない
21節のパウロのことばは、読む者すべてを驚かせるものです。その驚きの理由はパウロのキリストに対するコミットメントと自分のキリストに対するコミットメントのレベルのあまりにも大きな違いを見ることにあります。パウロの生き方と自分の生き方があまりにもかけ離れていると、そこに現実味を感じなくなり、あたかも伝記的な映画を見たり、小説を読んでいるような感覚になってしまうかも知れません。しかし、これはフィクションではありません。ですから、パウロという物語の登場人物のセリフや生き様に感動している場合ではないのです。自分とキリストとの現実の関係を見つめる機会とすることが大切なのです。

②すべての基準は「キリスト」のためになるかどうか
パウロは永遠の救いを信じていました。ですから、彼にとって死はキリストの共にいることによって与えられる永遠の平安と安息を意味していました。ですから、世を去るという選択のほう、地上で生きるよりも楽と感じていたのです。しかし、通常(特に健康な人)は、地上で生きながらえたいと思っています。就職をしてみたい、結婚をしてみたい、子育てをしてみたい、豊かな生活を手に入れたい、健康で長生きしたいと考えるのが、この世の当たり前の価値観です。苦難に直面しても、生きていれば必ず良いことがある、かならず苦労が報われると信じています。ここに、神の国の価値観のなかに生きる者と、この世価値観の中に生きるものの決定的な違いがあります。そして、キリストを信じる全て者は神の国の価値観の中で生きるように招かれているのです。

パウロは神の国の価値観の中に生きていましたが、依然としてこの世の価値観を覚えていました。ですから、この世的な見方をすれば、地上での働きをやめ、死んでキリストと共に過ごすほうがずっと楽だと知っていました。自分だけのことを考えたら、できるだけ早く天国に言ってしまったほうがずっと得だからです。しかし、かれはそれを選びませんでした。なぜなら、パウロはキリストは一人でも多くの人を救いに導くために自分を選び、救われたことを知っていたからです。つまり、キリストのために、地上で与えられている使命を全うするために生きていたのです。

さて、パウロが選ばれ、救われた理由と私たちが選ばれ、救われた理由に違いは全くありません。パウロが地上で生きることを選んだ理由と、私たちクリスチャンが地上で生き続ける理由も全く同じです。一日でも早く天国に行って、キリストの平安と安息を楽しむほうがいいに決まっているのに、なお地上に生き続ける理由は唯一つです。それは、キリストから与えられている使命を全うするためです。それ以外の理由を探している人はたくさんいます。家族のため、会社のため、社会のため、自分のため・・・。私たちにとってどれも大切に思えるものです。しかし、そのどれもなくなってしまう可能性があるものばかりです。ですから、決してなくならない、決して失望に終わらない、キリストの使命のために生きる人生に、私たちは招かれているのです。

【祈り】
《ヨハネ6章》
27なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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