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2013年6月27日(木)
ヘブル人への手紙 12:1
1こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
【ポイント】
①正し「みことばの適用」とは?
「みことばの適用」とは、聖書のメッセージを自分の生活に当てはめる作業ではありません。反対に、自分の生活を聖書のメッセージに合わせていくことが重要です。「前に置かれている競争を忍耐をもって走り続ける」という励ましのメッセージを「自分の仕事、勉強・人間関係の葛藤の中で前向きに生き続ける」というよな適用をする人が多いかも知れません。確かに、適用の内容は素晴らしい生き方を表しています。しかし、正しい適用とは言えません。なぜなら、私たちがキリストの弟子として福音宣教の際に経験する悩みや苦しみを経験していない人にとってはこの励ましは当てはまらないからです。当てはまらないものを、自分の人生に無理やり適用しても意味がないからです。
②信仰の人々と同じ信仰に生きる
ですから、私たちがキリストの弟子として、キリストから与えられた使命、大宣教命令に生きるときに初めて、正しい「適用」が始まるのです。そこで、信仰に生きた人々と同じ生き方に自分の人生を変えていくという歩みが始まるのです。これが本当の意味での「適用」なのです。キリストの弟子として、神様の計画を成就を期待しながら、その計画の実現を委ねられた者として歩む時に、旧約の信仰の人々は、私たちにとって素晴らしい模範となるのです。その生き方を自分に合わせるのではなく、自分の生き方を信仰の人々に合わせるのです。なぜなら、彼らの信仰とその結果として与えられた祝福が聖書にはっきりと記されているからです。ヘブル書の著者はそれを「証人」と呼んでいます。
③人生の優先順位を変える
弟子としての歩みを間違うと、その後のクリスチャン生活がおかしくなってしまいます。私たちはイエス・キリストを「主」と信じ、そう呼びます。なぜなら、私たちはイエス様の弟子として従う決心をしたからです。ですから、私たちが一番にすることは「自分のキャリア」ではありません。自分の職業、地位よりも、何よりも、まず「キリストの弟子」であることを第一とすることを決心したのです。これがキリストを「信じる」ということです。罪の赦し、永遠のいのち、天国へ行く約束は、その関係の結果として与えられているのです。「信仰の人々」もこの点について全く同じ信仰を神様に対して持っていました。もし、皆さんが信仰決心、バプテスマの前に、このことについて教えられていなかったしたら、再決心をお勧めします。なぜなら、この決心をせずにイエス様を「主」と呼ぶことは、自分を偽ることになってしまうからです。イエス様を「主」と呼ぶことができる者は、イエス様を第一にする者、イエス様から与えられている使命を第一にする者だからです。
④信仰の葛藤をごまかさない
信仰決心の時に感じる一番の葛藤は人生の優先順位を変えることへの抵抗から来るものです。もし、この人生の優先順位の変更をいい加減にしたまま従ってしまった人はいないでしょうか。実は、私がそうでした。しかし、主を一番とする決心してからは信仰生活が「義務感」から「喜び」に変わりました。そして、聖書が驚くほどよく分かるようになりました。その理由は、聖書を自分にあわせようとするのではなく、自分を聖書に合わせていく歩みに変えられたからだと思います。イエス様の弟子たちと同じ歩みを始めることができるときに、イエス様の弟子たちに対することばがそのまま心に入ってくるようになったのです。
【祈り】
《マタイ10章》
37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道