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2013年8月15日(木)ピリピ人への手紙 2:22私の喜びが満たされるように、あなたがたは一致を保ち、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、志を一つにしてください。【ポイント】①キリストにある一致を切望する一致についてはこれまで数えきれないほど触れて来ました。しかし、パウロが一致について繰り返し教えていいじょう、わたしたしは何度も同じメッセージに耳を傾ける必要があります。この2節のことばからも、パウロがどれだけ教会の一致を望み、教会がキリストにあって一致し愛し合う姿をみて喜びに満たされていたのかがよくわかります。私たちは、パウロの喜びを共有しているでしょうか。あなたの自分の教会に対して喜びを感じる瞬間はどのような時でしょうか。もちろん、誰かがイエス・キリストを信じるようになること以上の喜びはありません。しかし、救われたものが、教会の中で互いに挑みあったり、そねみあったりしているような状況になっているとしたら、神様はどんなに悲しまれることでしょう。キリスト者である私たちは神様の喜びのために生きています。神様の喜びが自分の喜びに変わっていきます。ですから、私たちもパウロのように教会の一致を喜ぶ者と変えられていく必要があるのです。
②一致は「仲良し」とは次元の違う結びつき「同じ愛の心」とはどのような心なのでしょうか。これはキリストの愛にほかなりません。罪人を受け入れることを決意し、罪人の贖いのために十字架で死んでくださった「愛」です。イエス様はマタイ5章でこのように教えられています。「46自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。47また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。」自分を優しく受け入れてくれる人に心を開き、愛をもって接していくことは互いに愛し合う第一歩です。しかし、キリストの愛はその続きがあるのです。それは、相手の態度、反応とは関係なく、自分から相手に歩み寄り、相手に心を開き、心を開いて行くという種類の愛があるということです。私たちは全員そのような愛によってキリストから受入れられ、この愛によって教会で受入れられたことを忘れてはなりません。ですから、次はあなたの番なのです。あなたが、教会に初めて来た人に、挨拶をし、歓迎をあらわし、関係を築いていくのです。声をかけられるのを待つのではなく、自分から声をかけていく者となるのです。
③一致は「感情的な結びつき」以上のもの「志をひとつにする」とは、私たちがある共通の「目的」において一致することを意味しています。それは何でしょうか。言うまでもなく、マタイ28章の大宣教命令に代表される、イエス様から与えられている使命です。本来使命を全うするためには、仲間割れをしたり、喧嘩をしている場合ではありません。相手との多少の考え方の違いがあったとしても、その違いを認め合いながら、時には賛成できないと思いながらも、使命の遂行のために一致することができるのです。反対に、細いことが気になって議論が起こるのは、私たちが使命に対する働きのてを休めている時、一段落ついた時なのです。小さな意見の違いが大きなものに見えてしまう理由は、私たちが、その違いよりも遥かに大きな使命によって結び合わされていることを忘れることにあります。私たちがイエス様の大宣教命令にしたがって生きる時に、さらに深い一致を体験することができるのです。
【祈り】《使徒2章》46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。アーメンライフチャーチ牧師 大谷 信道