デイリーディボーション 6月1日(土)

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デイリーディボーション 6月1日(土)

2013年6月1日(土)

ヘブル人への手紙 10:26-27
26もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。27ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。

【ポイント】
①神様は罪人が悔い改め、救われることを願っている
「真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば」というような人は誰のことを指しているのでしょうか。クリスチャンが含まれているとしたら、救われた後に救いを失う可能性があることを教えていることになります。しかし、イエス・キリストに従っていく決心をした後に、罪を犯さないで生活できる人などいるのでしょうか。1人もいません。罪を犯さずに生きていくことは不可能であるということは、聖霊に満たされ罪に対して敏感になればなるほど分かるようになるはずです。イエス様はパリサイ人達が、自分たちは罪を犯さずに生きていけるようなふりをしていることを嘆かれました。ここで、決して忘れてはならないことは、神様は私たちがクリスチャンになってすぐに、罪を犯さない生き方に変えられることは期待されていないということです。数年、数十年で罪を犯さない生き方ができるようになるのであれば、御子を犠牲として捧げられる必要はなかったでしょう。ですから、ここでは普通のクリスチャンについて言及しているのではないことが明らかです。でなければ、誰一人救われることが無くなってしまうからです。

②神様が求めているのは、私たちのキリストに対する愛、キリストに対する信仰、キリストに対する希望である。
私たちに求められていることは、誰が救われて、誰が救われないのかを詮索することではありません。繰り返し罪を犯したり、間違いを犯す度に、自分の罪深さを認め、だからこそキリストが必要だという告白していくことなのです。そして、どのような苦難を経験しても、キリストの愛から離れないことです。あまりにも辛い経験をし、礼拝、祈り、聖書から数年間離れてしまうこともあるでしょう。自分に大変な人生を与えたことについて、神様に腹を立てるようなことがあるでしょう。しかし、神様に失望するのは、神様に期待している証拠です。神様に腹を立てるのは、関係が存在している証拠なのです。あまりにも近視眼的にならないようにしましょう。ちょっと神様から心が離れてしまったといって、神様が自分を愛することを止めてしまったなどと考えてはならないのです。

神様は、放蕩息子の父のように、忍耐強く私たちを待ち続けて下さるのです。

【祈り】
35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。
36「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。
37しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、
39高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

アーメン

大谷 信道


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