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2013年6月8日(土)
ヘブル人への手紙 11:2-3
2昔の人々はこの信仰によって称賛されました3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
【ポイント】
①信仰とは神様の計画・約束の成就を信じること
このポイントは昨日学んだ通りです。この信仰の入口を間違え、「自分の夢の実現」のための信仰になってしまうと大きな問題が生じることになります。神中心ではなく、自分の願望中心の生活に拍車を掛けるようなことになってしまいます。下手をすると、気付かないうちにキリストを信じる前よりも「自己中心」という罪の性質が強くなってしまうことすらあり得るのです。
②「見えないもの」信じるとは
神様の業は最初から目に見えるものではありませんでした。天地万物は最初は目に見える何かからではなく、無から造られました。しかし、無から有が創造されたからといって、そこに何の計画がなかったわけではありません。私たちの想像をはるかに越えた神様の計画、意思があったのです。「光あれ」という創造主のことばは、創造主の計画であり、意志であるということです。全く同じように、私たちがイエス・キリストの「わたしに従いなさい。」ということばを聞く時に、そこに神様の計画があり、意図があることを信じるのです。
③キリストは「個人」と「教会」を用いて、自身の計画を実現しようとされている
アブラハムについては後から学ぶのですが、今日も少し触れておきます。神様はアブラハムに2つの祝福について約束されました。それは「個人」と「全人類」の祝福の約束です。この2つが切り離されることはありませんでした。つまり、アブラハムが神様の指示に従う時に、その計画の詳細はまったく「見えていない」としても、アブラハム個人の祝福が約束約束されているということです。しかし、その計画は、アブラハム個人の人生という小さな計画ではなく、アブラハムを用い、イスラエルの民の群れを起こし、全人類の祝福のために用いるという計画でもあったのです。
同じように、神様はあなたをイエス・キリストへの信仰に導かれた理由は、あなた個人の永遠の祝福を約束し、教会という救われた者の群れにつなげ、全人類の救いのために用いようとされているのです。つまり、あなたの個人的な祝福は、教会の祝福、全人類の救いと切り離されることは無いのです。だから、私たちは教会の祝福を願い、健全な群れとして成長することを祈るのです。それは、私たちライフチャーチの群れが、全人類の救いのために用いられるためです。
ですから、自分の人生、キャリアと教会の成長、祝福、そして宣教の働きとしっかりと結びつけられていない人は、信仰生活がしっくりと来ないのです。その理由は自分の夢と神様の夢が一致しないからです。神様に示された方向と自分の行きたい方向の両方に行こうとしても、結局綱引きのようになってしまい、結果としてどちらにも進むことができないという事になってしまうのです。せっかく、罪の赦しと永遠のいのちが与えられているのに、それだけもらっておいて自分の夢に向かおうとしているの自分に後ろめたさを覚えてしまうのです。
【祈り】
1主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。
2そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。
3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道