誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2014年10月10日(金)
2コリント 7:8-10
8あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、9今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。10神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
【ポイント】
①「愛」と「率直さ」
「互いに愛し合う」という命令を正しく理解し、実践しようとする時に一番難しさを覚える場面は、誰かの罪を指摘する必要がある時ではないでしょうか。パウロもコリント教会の中で大変難しい状況に立たされていました。なぜなら、ある人達の罪を指摘し、悔い改めを求めようとする時に、それを行えば、その人たちからの反発を招くことが明らかだったからです。そして、実際にそのような事が起きてしまったわけです。さらに、パウロは、そのような問題は教化全体にさらに大きな混乱をもたらすことにならないことを理解していたことでしょう。
しかし、パウロはコリント教会のために、きびしい手紙を書き送ったのです。しかし、2章に記されていたとおり、それはパウロのコリント教会に対する愛を示すためであり、コリント教会全体が悔い改め、健全さを取り戻すためだったのです。この厳しさ、率直さはすべてパウロの愛から出た行為だったのです。
互いに愛し合うとは、慣れ合うことでも、傷を舐め合うことでもありません。かといって、互いにさばき合うことでもありません。互いの罪を認め、互いに悔い改め、互いに受け入れ合うという、時には痛みや苦しみを伴う歩みヌキに、互いに愛し合うというキリストの命令を全うすることはできないということを、パウロの姿からしっかりと学びましょう。
【祈り】
《2コリント2章》
3あのような手紙を書いたのは、私が行くときには、私に喜びを与えてくれるはずの人たちから悲しみを与えられたくないからでした。それは、私の喜びがあなたがたすべての喜びであることを、あなたがたすべてについて確信しているからです。
4私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらに、あなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を知っていただきたいからでした。
5もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが――あなたがた全部を悲しませたのです。
6その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、7あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。
8そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道