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2014年9月29日(月)
2コリント 5:18-19
18これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
【ポイント】
①和解の務め
私たちはイエス様によって招かれました。それは救いのための招きだけでなく、イエス様の計画の実現のための働きと手として私たちを招かれたのです。ですから、クリスチャンである私たちは一人の例外もなく、イエス様からの使命を帯びているのです。パウロはその使命を「和解の務め」と呼んでいます。「和解」とは神様と人間の関係の回復です。つまり、人々が、キリストが自分の罪のために十字架にかかり、死んでくださったこと知り、もはや罪の中に生きることをやめ、キリストの十字架に表された神様の愛を知り、受け入れること、そして神様を愛する者となることです。和解は単なる仲直りではなく、神様との愛の関係の回復なのです。
②神様は準備ができている
和解はその後の歩み寄りによって実現します。神様は初めから人間を愛し、手を差し伸べて待っていらっしゃいます。人間が神様の愛を知り、すでに差し伸べられている神様の手を握り返すことができるように、神様は様々な形で人間に語り続けられました。かつて、人間の心があまりにも頑なになってしまった場合は、厳しい対応をされたこともありました。しかし、そのすべては、人間の側の罪深さに原因なのです。少し祝福を受けるとすぐに思い上がり、神様の愛を侮り、他の神に浮気したり、神様が悲しまれることを平気で行ってしまう罪深い人間の姿が、特に旧約聖書の中にしっかりと記録されています。しかしその厳しさは、神様が諦めることなく愛の手を差し伸べ続け、人間と和解することを望まれている証拠でもあるのです。もしそうでなければ、罪人が欲望の中で自分勝手に生きることを許し、罪の中に滅んでいくにまかせておけばよかったのです。
③私たちの生きる理由
そして、今やその和解の働きは、イエス・キリストを信じる私たちに委ねられているのです。ここに私たちが罪に汚れた地上に生き続ける理由、自分の存在理由があるのです。祈りの中で5章15節のことばを反芻してみましょう。
【祈り】
《2コリント5章》
15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道