デイリーディボーション 8月17日(土)

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デイリーディボーション 8月17日(土)

2013年8月17日(土)ピリピ人への手紙 2:66キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、
【ポイント】①偽者は虚飾に走る「成金趣味」という俗語があります。事業の成功などで突然大金を手にした人で、高価であることが一目でわかるような洋服、住宅、装飾品を好んで用いる姿を皮肉った表現です。高価な物を身につけたいという思いの背後には、自分を実際の自分よりも大きく見せたい、美しく見せたい、裕福に見せたいという欲求があります。自分をよく見せたいという言う欲求を丸出しにすることに恥ずかしさを感じない、厚顔無恥さの故に、人々からは尊敬よりも軽蔑されてしまうわけです。しかし、厳密に言えば、洋服、化粧などを用いる背後には、自分の恥部を隠し、自分を実際よりもよく見せたいという同じ欲望をすべての人が持っていることも事実です。
②虚飾に騙される愚かな人間成金に限らず、時の権力者達は、なぜ好んで財宝で身を飾ることを好んだのでしょうか。それは、虚飾に騙されてくれる愚かな人々がいたからです。金銀やまばゆい宝石を身につけると、喜んで頭を下げ、崇拝し、取り巻きになろうとする人々がいたからです。多くの宗教はこの手法を上手に用い、寺院を金銀宝石で飾り、人々はその美しさを神々しさと勘違いし、あたかも神がそこにいるかのような錯覚を起こしてしまうのです。現代でも、多くの新興宗教が好んでこの古典的な方法を用い、多くの人が惑わされてしまっています。
③本当の神は虚飾の必要がない虚飾は自分を実際よりも大きく見せるための手段です。ですから、金銀宝石で身を飾ることは、自分が卑小な人間であることを公言しているような者なのです。本物はそれ以上着飾る必要はないからです。本当に純粋なものは、何かを加えれば不純物を混ぜることになってしまうからです。ですから、もしイエス様が高価な洋服や装飾品を身に着けていたとしたら、私たちはイエスは神の名を語る偽者であると判断していたことでしょう。しかし、イエス様が当時の支配者、権力者のように、きらびやかな姿で人々を欺くことをしなかったために、私たちはイエス様が本当に神であることを知ることができたのです。イエスが「神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考え」なかったからこそ、私たちはイエス様が間違いなくキリストであり、神であることを知ることができたのです。
④だからこそ・・・。3節にあったように「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思う」ことが求められているのです。あなたの素晴らしさは、既に神様が一番良くご存知なのです。ですから、自分を大きく見せたり、信仰深く見せたり、または必要以上に謙虚に見せたり、自分を自慢したりする必要はないのです。【祈り】《マタイ23章》5彼ら(パリサイ人)のしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
6また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、7広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。8しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。9あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。10また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
11あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。12だれでも、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされます。アーメンライフチャーチ牧師 大谷 信道


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