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2014年10月6日(月)
2コリント 6:14-18
14不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。15キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。16神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。17それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、18わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
【ポイント】
①結婚の話ではない
14節はパウロがクリスチャンと未信者の方の結婚を禁じていると解釈されることがあります。英語の聖書の中には「不信者と、つり合わぬ結婚をしてはいけません」と訳しているものもあります。ただ、前後の文脈から考えても、この語を結婚と関連付けることは唐突で不自然な感じを受けます。さらに、「つり合わない」と言われている側の人間について「不法」「暗やみ」「ベリアル(サタン)」「偶像」とまで表現をしていることから、パウロが考えている「つり合わぬ者」は、積極的な悪意、不信心、偶像礼拝などのイメージを連想させる者でもあります。ですから、ここではクリスチャンの未信者との結婚ではなく、クリスチャンの信仰に悪影響を及ぼすような、異教徒との交わったり、異教の礼拝に参加することを禁じている理解するほうが適当であると考えます。恐らく、ここでのパウロの思いは1コリント5章10-11節に記されているメッセージと似たものだと思われます。
「10それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。11私が書いたことのほんとうの意味は、もし、兄弟と呼ばれる者で、しかも不品行な者、貪欲な者、偶像を礼拝する者、人をそしる者、酒に酔う者、略奪する者がいたなら、そのような者とはつきあってはいけない、いっしょに食事をしてもいけない、ということです。」
②未信者との結婚がOKという話でもない
ここで注意したいことは、14節が結婚の話ではないという聖書の解釈、釈義の問題について触れただけであって、決して、クリスチャンと未信者の結婚が大丈夫だという話をしているのではないということです。クリスチャンと未信者の結婚の難しさについては、今日の箇所などではなく、別の箇所からもっとシンプルに理解できるのです。例えば、ヨハネの福音書13章34節を見てみましょう。「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」この箇所から、私たちが互いに愛し合う約束ができるのは、キリストの愛を受け入れていること、そして互いに愛し合いなさいというというメッセージをキリストからの命令として受けているからなのです。結婚する両者がキリストの命令に従って生きているという信仰があるからこそ、不完全な二人が互いに愛し合う約束ができるのです。
③とはいえ、未信者との交わりを断ってもならない
私たちが与えられている使命は世に出て行くことです。クリスチャンだけのコミュニティー、コロニーを作ることではありません。そのような理想的な状況はキリストの再臨の後に実現することを楽しみに待つ必要があります。
【祈り】
《1コリント5章》
10それは、世の中の不品行な者、貪欲な者、略奪する者、偶像を礼拝する者と全然交際しないようにという意味ではありません。もしそうだとしたら、この世界から出て行かなければならないでしょう。
ライフチャーチ牧師 大谷 信道