デイリーディボーション 8月3日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 8月3日(土)

2013年8月3日(土)

ピリピ人への手紙 1:7-8
7私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。8私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。

【ポイント】
①パウロは「神学博士」ではなく「小学校教師」のように振舞った
パウロは現代で言えば「巡回伝道者・教師」、「宣教師」に近い働きをしていました。一時的に教えに来た教師、外から来た宣教師に対する地域教会の反応は決して良いものとは限りません。「ちょっとの間しかいないくせに、何偉そうなことを言っているんだ!」と反感を覚える、地域のリーダー達もいたことでしょう。2コリント10章10節にはコリントの教会の中で起きていたパウロに対する反発を知ることができます。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」
いくら正論を並べても、実際の教会の中に起きている問題の重荷を負わない人間の「上から目線」の言葉など聞いていられないと思う人が出てくることは避けられない事実でしょう。同じ所に立ち、同じ重荷を負っていない人は、それが有名な指導者であろうが信頼できないと感じることは当然のことなのです。人間は良くも悪くも、相手がどれだけ真剣に関わってくれているのか、どれほどの重荷、コミットメントを持っているのかを大変敏感に感じ取ることができるものなのです。

例えば、小学生は教師の「情熱」を求める傾向が強いでしょう。知識、授業の技術以上に、自分はこの先生を本当に信頼できるのか、心を開けるのかというポイントを直感的に見ています。ですから、小学校の時の好きな先生を思い浮かべると、その授業内容などはほとんど覚えていないはずです。むしろ、どれだけ「共感」してもらえたのかという部分が印象として残っているのではないでしょうか。しかし、高等教育においては、その様子が変わってきます。生徒は「共感」よりも「知識」を求めるようになります。特に進学校においては、教師の人間性よりも、受験対策の知識、専門知識の有無が良い教師か否かを決定する要素となっていきます。

興味深い事に、教会ではそれが「成人」の群れであっても、リーダー「共感」を求める傾向が強くあります。特に小規模の教会においては、牧師、教師との個人的な関わりを強く求める傾向が強いと言われます。つまり、牧師が正しく聖書の知識について教えていくことよりも、牧師が自分に心を開いてくれているかというポイントの方が重要と感じてしまう傾向が強いのです。会員数が1000人を越すような教会では、メンバーは牧師と個人的な関わりを持つことが物理的に不可能であることを知っているので、そのような期待を持つ人が少ないのです。むしろ、牧師の説教のパフォーマンスを求めるようになるようです。これは決してどちらが良いわけでも悪いわけでもありません。小規模教会、大規模教会のごく一般的な傾向、そこに働く一般的な心理なのです。

パウロも、そのような小規模な地域教会の傾向、群れの心理をよく知っていました。ですから神学博士のようにではなく、小学校の先生のように、それぞれの教会とそのメンバーとの関わりを大切にしてきたのです。そのような形で関わらなければ、人々が心を開き、パウロの教えに耳を傾けることがなかったからです。このパウロのアプローチは日本の教会指導者、日本にいる海外からの宣教師は真摯に学ぶ必要があるでしょう。

②教会員も「小学生」のままではダメ!
パウロは霊的に未熟な人々が心を開いて、彼が語るキリストについての真理を受け取ることができるように苦心しました。しかし、私たちは成長するにしたがって、真理そのもの探求するようになります。「誰が語ったか」ではなく、「そこで語られたキリストの真理は何か」ということが大切に思えてくるのです。私たちが「先生が嫌いだから、英語が嫌いになった」という言い訳は通用しないことを学んでいくように、牧師、宣教師が個人的に好きでなかったから霊的に成長できなかったという言い訳は、イエス様の前では通用しないのです。もちろん、不誠実な教師はキリストから厳しい裁きを受けることになります。(ヤコブ3:1)
しかし、聖書と聖霊が与えられている私たち、つまり既に真理がはっきりと示されている私たちは、この真理によって成長し、教会を愛し、教会の建て上げに貢献し、家族、友人に証を立てていくことができるのです。

【祈り】
《ロマ書12章》
6私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
7奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
8勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。

アーメン

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


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