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2013年7月6日(土)
ヘブル人への手紙 12:16-17
16また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。17あなたがたが知っているとおり、彼は後になって祝福を相続したいと思ったが、退けられました。涙を流して求めても、彼には心を変えてもらう余地がありませんでした。
【ポイント】
①「心を変える」=悔い改める
「心を変える」と訳されていることばは、他では「悔い改める」と訳されていることばです。つまり、ヘブル書の著者はエサウが犯した罪について話しているのではなく、彼の悔い改めない心の問題を指摘しているのです。それは、表面的な行いによっては見ることができない心の奥底の問題であり、神様だけが知っている部分でもあります。エサウの涙は彼の本当の悔い改めから出たのではないということを、神様はご存知だったということです。
②「悔い改め」と「キリストに従う信仰」はコインの表と裏
悔い改めと信仰はセットであり、切り離して考えることはできません。エサウのように、祝福だけを求めて涙を流しても、罪を悔い改め、主の支配に生きる決意をしない者は救いを得ることができないということです。「信仰のみ」によって救われることは聖書から知ることができる真理です。しかし、「信仰」には「悔い改め」と「主に従う覚悟」が含まれていることを今日の箇所からもはっきりと知ることができます。
③日々悔い改めることの大切さ
ヨハネは、私たちがクリスチャンになった後も、繰り返し悔い改めをしていく必要を手紙の中で教えています。私たちは救われていますが、依然として罪の性質(肉体)を持っている存在です。キリストが罪からの唯一の救い主であることを信じ、キリストに従う決意に導かれた者は、その後のに犯してしまう罪によって裁かれることはありません。しかし、なんでも自分の欲望のままに生きていて良いというわけではありません。罪を犯しまった時に、悔い改めることが大切であり、それはクリスチャン生活の一部だと考えるべきなのです。聖霊に満たされば、満たされるほど、私たちは自分の罪深さを知ることになるからです。(ヨハネ16:8)
【祈り】
《1ヨハネ》
7しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道