誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。
2013年7月27日(土)
ヘブル人への手紙 13:24-25
24すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています。25恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。
【ポイント】
①1世紀の教会の姿
「指導者たち」「すべての聖徒」ということばから、その地域の教会の様子を知ることができます。ヘブル書の著者は地域の教会を一つの群れとして扱っています。しかし、現代のように何百人も収容できる教会堂は存在していません。教会は主に「家」に集まっていたはずです。つまり、たくさんの小グループに分かれて礼拝、交わりが行われていたにもかかわらず、ヘブル書の著者は、それらの集まりを一つの教会として見ているということです。家々での集まりがありながら、全体としては一つの組織・共同体として、信仰と生活を共にしていたのです。
②いかなる状況でも礼拝(集まり)をやめない
1世紀の教会は、ユダヤ人たちのような「神殿」「シナゴーグ(地域の会堂)」がなくても、集まって礼拝をすることをやめませんでした。私たちが学ぶべき点は、「家」という建物のスタイルでも「少人数制」というグループの規模ではありません。彼らは、しかたなく家々に集まっていたわけで、決して「家の教会」を教会の理想形として取り入れたのです。ローマ帝国内で激しい弾圧が行われた時には、地下の墓地に集まっていたクリスチャン達も大勢いました。そうです、私たちは彼らの「礼拝(集まること)」に対する熱心さ、信仰の姿から学ぶことができるのです。「家の教会」は習慣としてでもなく、義務としてでもなく、キリストの名によって集まることを切望したキリスト者の姿だということを覚えておきましょう。そして、自分が同じ熱心さを礼拝、交わりに持っているのかを振り返ってみましょう。
③「家族」としての交わりをやめない
南部バプテスト連盟はアメリカでの最も会員数が多い教団です。それでは、南部バプテスト連盟全体の日曜礼拝の出席者の平均は何人ぐらいだと思いますか。500人でしょうか、150人でしょうか。最近のある調査によると、「70人」だそうです。大都市にある一部のメガチャーチを除けば、多くの教会は、私たちが想像しているほど大きくないということです。神学校で学んでいる時に、北部の小さな教会出身の神学生と話すチャンスがありました。そこで知ったことは、アメリカの教会と日本の教会が規模が同じぐらいであれば、教会の持っている課題が極めて似ているということです。つまり、アメリカでも日本でも大半の教会は、小規模であり、しかしそれは聖書の中に見ることができる教会の姿と似ているのです。ですから、そこで起こる祝福も、問題も具体的に適用することができるのです。神の家族としての関わりを、体験できるのです。
④聖書的な教会の姿を求める
日本に伝道チーム、宣教師を送ることができる教会の大半は、そのような経済力や勢いをもっている大規模教会です。そのような大規模教会の牧師が書いた本が教会形成のテキストとして広く用いられたりしています。神学校にいた時も、多くの神学生は大規模教会のメンバーになりたがる傾向がありました。大規模教会の方が奉仕の機会も多いですし、牧師たちの多くは博士号をもった優秀な方々ですから、トレーニングを受けるのに良い環境だと考えるのでしょう(もちろん、小規模教会を選んで奉仕している学生もたくさんいました。)。
しかし、一般のクリスチャンが魅力を感じるような大規模教会、メガチャーチは本当に聖書的な教会の姿なのでしょうか。健全なクリスチャン、神の家族、キリストの体を建て上げる場となっているのでしょうか。もちろん、健全なメガチャーチもあるかもしれません。しかし、本当にその姿が教会の理想形であるとは限らないことを覚えておきましょう。
例えば30人の教会が年間3人の信仰決心が与えられたとしたら、それは数の上では10%の成長です。30人の教会に3人新しく通い始める方が与えられれば、同じく10%の成長です。2000人の教会であれば200人に当たります。10人で始めた教会が1年後に20人に成長したら、増えた数はたった10人かもしれません。しかし、それは2000人の教会が4000人になることです。つまり、規模が小さな教会は、ほんの小さな出来事が極めて大きな変化を意味しているのです(そのかわり、小さな問題も群れ全体に影響するということがあります)。ですから、日本の教会、私たちライフチャーチの規模が小さなことで、卑下する必要は全くありません。日本の教会のメンバーは、海外の大規模教会のメンバーよりも、ずっと大きな責任、コミットメントをもってキリストの体に仕えている可能性が高いのです。そして、実は、日本の教会の中での方が聖書的な教会の姿を体験できている可能性が高いのです。
安楽でスマートなクリスチャン生活を求めている人の目には、日本の教会は面倒くさく映ることでしょう。しかし、純粋な献身の思いが与えられている者にとっては、素晴らしい環境なのです!
【祈り】
《ルカ19章》
19主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道