デイリーディボーション 4月20日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 4月20日(土)

2013年4月20日(土)

ヘブル人への手紙 5:13-14
13まだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
14しかし、堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。

【ポイント】
今日のようなみことばを聞く時に、私たちの姿勢が試されます。ある人は自分が「幼子」と指摘されることに「腹を立てる」でしょう。ある人は自分の未熟さのゆえに「落ち込む」でしょう。しかし、ある人は「硬い食べ物に挑戦していこう!」と「励まし」を受けます。さらに、ある人は「だから?」と忠告を無視するか、無関心を貫きます。あなたの心はどのような反応をしたでしょうか。しかし、実はあなたの心の素直な反応は全く重要ではありません。むしろ、心の素直な反応などにあなたの人生を支配させてはならないのです。むしろ、神様があなたに何を望んでいるのかを正しく知り、その御心に心を支配させるのです。つまり、あなたの罪の性質が残っている「心」に自分の人生、日々の選択を支配させるのか、神様のに支配していただくのかを決定するのは、誰でもなく「あなた」なのです。

もちろん、あなたが神様の御心を選択する知恵を与えるのは聖霊です。選択した御心を成し遂げていく力を与えるのも聖霊です。しかし、神様の御心に従う決心をするのはあなた以外にはいません。

さて、それでは神様の御心はどこにあるのでしょうか。それは、①義の教えを実践していくこと、②その経験によって、神様の御心とそうでないことを区別する感覚を身につけることです。「義の教えに通じる」の「通じる」ということばは、単に頭の知識ではなく、「試してみる」という意味のことばです。その意味は、「経験によって・・・訓練された人」という14節のことばでさらにはっきりとします。

ここで、このみことばに表されていないメッセージを考えてみましょう。まず、①神様は私たちが既に完成されたものとなっていることを期待しているのではないということです。さらに②未熟なものを切り捨て用としているのでもないのです。ここに、クリスチャンの歩みの悪循環を見ることができます。未熟なクリスチャンほど、神様のポジティブな励ましを得ることができず、時として、みことばが自分の批判したり、裁くことばにしか感じ取ることができないために、本来「励まし」のはずであることばが、自分を「落ち込ませる」ことばにしか聞こえないという事態が起きてしまうのです。

そのような反応は言うまでもなく「罪の性質」によるものです。自分がいつも人よりも優れていたい、完全でありたいという一見ポジティプに見える性質の根底には「優越感」「傲慢さ」「尊大さ」「背伸び」があるのです。ですから、今日の箇所のように「幼子」などと言われると、自尊心が傷つけられてしまうのです。ですから、先ほど挙げたような反応が出てしまうのです。一方、そのような「罪の性質」に気づき、つまらない自尊心を十字架につけてしまった者は、「幼子」と指摘される時に「確かにそうだな」、「それでは成熟を目指していこう」という心の選択をするのです。極端に言えば、どのような言い方をされても、相手に腹を立てたり、つまずいたりすることはないのです。

未熟なクリスチャンのスパイラルから抜け出す唯一の方法は、まさに今日のみことばにある通りです。神様に信頼し素直にみことばを聞き、「みことば試してみること」です。みことばに従うときに、祝福をふけるという「経験」を積んでいくしかありません。いまだに幼子である私たちを忍耐強く導き続けて下さるキリストの愛に包まれて歩んでいくことです。あなたの基準では、あなたは落伍者になるかもしれません。しかし、神様の基準ではあなたはすでに「合格者」として受け入れられているのです。

【祈り】
《ヨハネ15章》
9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。

ライフチャーチ牧師 大谷 信道


side_worship side_info