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2013年3月30日(土)
「キリストは私たちの罪の赦しのために苦しまれ、死なれた」
マタイ 26:28
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
【ポイント】
「赦す」とはどういうことでしょうか。誰かが、あなたを傷つけたり、あなたの財産を奪ったとします。もし、そのための賠償がされたとしたら、十分な償いがされたとしたら、私たちはその人を赦す必要はありません。赦すとは、相手とは関係なく、相手の罪を問わないということです。
現実の世界をみると、例えば、飲酒運転による事故によって、自分の家族のいのちが奪われたとします。もし、その運転手に死刑が言い渡されてとしても、それだけで残された家族の心に平安が戻ることはありません。つまり、正当な賠償が行われても、自動的に赦しにつながるわけではないということです。つまり、赦しは、加害者が相手を責めることをやめようという決意がなければ、成立しないのです。ということであれば、私たちが神様を無視し、神様に対して犯した罪の赦しを得たいと思った時に、加害者である私たちが、どんなに努力してもダメだということです。神様が私たちを赦す決意がない限り、絶対に赦しは実現しないのです。
ここに「神様の恵み」を見ることができます。神様は私たちを愛し、御子を信じる者を赦すと決められているのです。私たちに償いをさせるのではなく、御子にすべての罪の償いをさせたからです。
自分のような罪深い者の罪は完全に赦されていないのではないかと不安に思うことはあるでしょうか。赦されるはずがないという理由をたくさん挙げることができるかもしれません。でも、そのような感覚、感情に振り回されてはなりません。私たちがどのように感じていようが、神様は私たちを赦し、愛されることを決められているからです。
【祈り】
《使徒10章》
39私たちは、イエスがユダヤ人の地とエルサレムとで行なわれたすべてのことの証人です。人々はこの方を木にかけて殺しました。
40しかし、神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現われさせてくださいました。
41しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました。
42イエスは私たちに命じて、このイエスこそ生きている者と死んだ者とのさばき主として、神によって定められた方であることを人々に宣べ伝え、そのあかしをするように、言われたのです。
43イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者はだれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、とあかししています。」
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道