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2014年10月20日(月)
2コリント 8:17-21
16私があなたがたのことを思うのと同じ熱心を、テトスの心にも与えてくださった神に感謝します。17彼は私の勧めを受け入れ、非常な熱意をもって、自分から進んであなたがたのところに行こうとしています。18また私たちは、テトスといっしょに、ひとりの兄弟を送ります。この人は、福音の働きによって、すべての教会で称賛されていますが、19そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです。私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。20私たちは、この献金の取り扱いについて、だれからも非難されることがないように心がけています。21それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。
【ポイント】
①教会の健全さの別の側面
注解者の中には、パウロに反対する人たちが、パウロが集めている募金を着服しているとの噂を広めていたのではないかと推測する人もいるようです。特に21節の「主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えている」というパウロのことばからも、恐らくそのようなことが起きていたのであろうと思われます。献金、募金についての取扱については、現代の教会でも教会が健全であるか否かの試金石になっていると思います。
ここでのポイントは、教会では収支に関して誰でもが理解できる形で報告され、透明性を持っているのかということです。つまり、定期的に収支報告がなされ、それをチェックする機能が働いていることが極めて重要だということです。何らかの教団、教派に所属、加盟しているときには、その団体への報告の必要がある場合が多く、教会がきちんと説明責任を維持していく助けとなっている場合が多くあります。一方、単立、独立している教会は、第三者への報告の機会がない場合に会計がずさんになってしまう危険性があります。さらに、牧師、宣教師などの教職者が献金を管理すること(特に教職者が一人の場合)はタブーであると神学校でも、牧会セミナーでも教えられており、どんなに小さな教会でも牧師以外の複数のメンバーが献金を管理し、透明性を維持することが常識となっています。もちろん常識の通りにいかない場合もありますが、その場合はさらに、収支報告の透明性を維持する努力が求められます。
いかに有名な牧師がいる教会であっても、規模の大きな教会であっても、その礼拝、掲げられているビジョン、用いられている戦略がいかに魅力的であったとしても、献金について「主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと」していない教会は、極めて不健全な状態にあることを、常識の一つとして覚えておきましょう。私たちが聖書的でありたいと願うのであれば、今日のパウロのことばをしっかりと受け止めようではありませんか。
私たち、ライフチャーチは開設直後から、教会会計の大変な働きを担ってくださっている方が与えられていることに心から感謝しています。この働きが、ライフチャーチの健全さを支えている大きな柱の一つであることを覚え、その働きをに担ってくださっているメンバーのためにも祈りましょう。
【祈り】
《2コリント8章》
21それは、主の御前ばかりでなく、人の前でも公明正大なことを示そうと考えているからです。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道