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2013年7月20日(土)
ヘブル人への手紙 13:15
15ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
【ポイント】
①キングタム・ビジョン(続き)
昨日は、神の国に生きる者の優先順位について確認しました。正しい優先順位を持ちながら、複数のことに取り組むためには成熟が求められます。小さな子どもはその時に一番したい事だけに集中します。そして、一番したい事は次々に変わっていきます。まだおもちゃで遊んでいたいときは、食事をするのはとて嫌なのです。成長した大人は違います。家族、自分のために食事を準備する必要があれば、他にしたい事があっても手を止めて、食事を準備するのです。
ですから、成熟したクリスチャンは、職業について大きな夢を持っていたとしても、それに真剣に取り組みながら、自分の夢を最優先事項にはしません。もっと重要な使命を持っているからです。職業という極めて重要な事柄を抱えながら、キリストの弟子として歩んでいくことを2番にすることはないのです。「家庭を仕事のどちらが大切ですか?」という質問に、健全な人は必ず「家庭」と答えます。どんなに仕事に時間を費やしていたとしても、家族と十分に過ごすことができていないという現実を抱えていたとしても、人生の優先順位として、仕事が家庭よりも大切になるはずはないのです。
②キングダム・ビジョンでの最優先事項とは?
そのように考えていく中で、キリストを信じる者にとって「職業」は最も重要なことにはならないことを理解できたでしょうか。「職業」を夢として頑張ってきた人は、この真理を受け入れるのに抵抗を覚える人もいると思います。しかし、覚えていて下さい。ここでのポイントは「順番」です。一番大切なことを自分の人生の一番に据えることが、キリストの従うことであり、神の御国に住むことでもあるのです。
さて、神の国に生きる者に与えられている使命はいくつかあります。リック・ウォレン師は「礼拝・交わり・弟子訓練・奉仕・伝道」の5つを挙げ、この5つすべてをバランスよく行うことの重要性を説いています。ただ、現実としてこの5つを同時に実践していくことは難しいですね。ですから、その中で一番大切なことから初めて行くことが重要です。それは何でしょうか。そうです「礼拝」です。霊と真をもっての日曜礼拝、家庭礼拝が出来ているけれども、伝道に思うように取り組めていないというケースはありえるでしょう。しかし、毎日外に出て最低10人に福音を伝えるけれど、日曜日には教会にも行かず、家庭での礼拝も守っていないというクリスチャン生活はあり得ないのでよね。
それでは、日曜の教会での礼拝と個人での家庭礼拝のどちらを優先させたら良いでしょうか。聖書を見ると、神様は私たちが群れとして礼拝を受けることを喜ばれていることが明らかです。パウロも「キリストの体」としての教会について繰り返し教えています。ですから、日曜日の教会での群れとしての礼拝(会堂・民家によらず)が大切なのです。
③礼拝での最優先事項は自分を捧げること
ユダヤ人の礼拝の中心はささげものを「捧げる」ことでした。礼拝は自分自身を主の前に捧げることなのです。今や、イエス様がご自身を完全な犠牲として捧げてくださったために、私たちは動物の犠牲を捧げる必要がありません。特にユダヤ人がクリスチャンになった時に「動物の犠牲無しで、いったいどうやって礼拝をすればよいのだ?」と考えたはずです。感覚としては、「バットとボール無しでどうやって野球をするのだろう?」という感じです。確かにバットとボール抜きでは野球はできませんが、動物の犠牲無しでも礼拝はできるのです。今日の箇所にあるとおりです。
明日の礼拝も、一つ一つの賛美をもって、自分自身を全身全霊を持って共に神様にささげましょう!難しことは考える必要はありません。とにかく、まず礼拝を大切にすることから始めていけばよいのです。
【祈り】
《ローマ12章》
1そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
アーメン
ライフチャーチ牧師 大谷 信道