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2015年1月3日(土)
【通読】
ガラテヤ 4:13-18
13ご承知のとおり、私が最初あなたがたに福音を伝えたのは、私の肉体が弱かったためでした。14そして私の肉体には、あなたがたにとって試練となるものがあったのに、あなたがたは軽蔑したり、きらったりしないで、かえって神の御使いのように、またキリスト・イエスご自身であるかのように、私を迎えてくれました。15それなのに、あなたがたのあの喜びは、今どこにあるのですか。私はあなたがたのためにあかししますが、あなたがたは、もしできれば自分の目をえぐり出して私に与えたいとさえ思ったではありませんか。16それでは、私は、あなたがたに真理を語ったために、あなたがたの敵になったのでしょうか。17あなたがたに対するあの人々の熱心は正しいものではありません。彼らはあなたがたを自分たちに熱心にならせようとして、あなたがたを福音の恵みから締め出そうとしているのです。18良いことで熱心に慕われるのは、いつであっても良いものです。それは私があなたがたといっしょにいるときだけではありません。
①間違った福音が好まれるという現実
パウロの時代だけでなく、現代も異端的な教会、教団が多数存在しています。しかし、なぜ聖書に書いていないことを教えるような不健全な教会が信者数を増やすことができるのでしょうか。その理由は、その教え、システムが人間的な欲求を満たすようにできているからです。ある人々は現世利益(金、健康、権力等)、ある人々は禁欲的な厳しい教え、ある人々は心の安らぎ、癒し、ある人々は特殊な宗教体験、またある人々は知的好奇心が満たされることを求めます。自分の欲求が満たされていると感じている間は喜びますが、その教会が自分の欲求を満たさないと感じると不機嫌になったり、自分の欲求を満たしてくれる別の場所を求めるようになってしまうのです。ですから、多くの教会では人々を惹きつけ続けるために、手を変え品を変え努力を続け、最悪の場合、聖書の真理から離れて行ってしまうという結果になってしまうのでしょう。
②真理に歩むとは
しかし、真理を求める人々は自分の欲求に従って歩むことをしません。「好き嫌い」「合う合わない」といった人間的な尺度ではなく、与えられた教会、家族の中で、神様の御心を実践すること、自分の使命を見い出し神様と人々仕えることに喜びを覚えます。与えられることよりも、与えることに喜びを覚えるようになるのです。もし、パウロが自分の好き嫌いだけで行動していたとしたら、ガラテヤ、コリントの教会のような多くの問題を抱えている教会、パウロに対し不満を覚えている人々が存在する教会との関わりを絶っていたことでしょう。
【日曜礼拝の中心聖句】
詩篇103篇
1わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。2わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
【今週の適用と実践】
①自分の祝福は第三者や環境によって左右されるものではない。
②神様からの赦し、憐れみにを知ると、全てが祝福に感じられるようになる。
③神様の御心の中ですべてが起き、すべてが良い結末に向かっていると信じる。
・自分の不幸せを他人や環境のせいにしない
・神様の赦し、愛、恵みを思い出し、全てが祝福に変えられることを体験する。
・ダビデのように、自分のたましいに主をほめたたえるように命令してみましょう。
【今週の祈り】
「主よ、あなたの赦しとあわれみが、私の感じ方さえ変えてくださることに感謝します。自分勝手な感じ方に支配され、自分の気にくわない事柄に腹を立てたり、そのストレスの中で翻弄されていた私は、その間違った感じ方を捨てることができました。いまは、ダビデのように自分のたましいにあなたをほめたたえ、感謝をささげるように命令できることを知りました。これからは周りの環境が自分の都合の良い用に変わることを祈るのではなく、あなたを信頼し強く生きていくように私を変えてくださるように祈ります。すべてあなたに委ねます。」
ライフチャーチ牧師 大谷信道