デイリーディボーション 8月19日(月)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 8月19日(月)

2013年8月19日(月)ピリピ人への手紙 2:77ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現われ、 phil 2: 8【ポイント】①キリストに学ぶ見るリーダーシップのあり方イエス様のリーダーシップのスタイルは「サーバント・リーダーシップ」と呼ばれることがあります。今日の箇所の通り、イエス様は「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり」人々を導かれました。例えばマタイ20章ではイエス様ご自身もこのように教えられました。「26あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。27あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。」
②リーダーになる順番を間違えてはならない私たちは、教会の中で忠実に兄弟姉妹のために仕えてきた人を「リーダー」として見るようになります。例えば、誰も知らないところで教会のトイレ掃除をする人、誰から頼まれたわけでもないのに日曜日朝早く来てイスを並べたり準備をする人がリーダーとして育っていくのです(もちろん、他にも教会の兄弟姉妹のために仕える方法はたくさんあります)。この順番を間違えてはなりません。小さなことでも忠実に行い、教会を愛し、教会に前向きに仕え続けている人を、私たちはリーダーとして立てていくのです。リーダーになりたい人が立候補して、リーダーのポジションが与えられた後に、職務として兄弟姉妹のために仕えてくのではありません。なぜなら、イエス様がこそがこの順番で弟子たちに仕え、弟子たちの愛を洗い、弟子たちを導かれたからです
③たとえ能力、アイディア、情熱があってもリーダーとなれるわけではない例えば、プロの音楽家であっても、まず謙虚に仕える者でなければ賛美リーダーにはふさわしくありません。神学の博士号を持っていても、まずへりくだって仕える者でなければ、バイブルスタディーを導くリーダーとしてふさわしくありません。一国の総理大臣、大統領として国をまとめる能力と情熱を持っていようが、純粋な思いで兄弟姉妹の足を洗い続ける実績がなければ、教会の中ではリーダーとして選ばれるべきではありません。
④「仕える」ことはリーダになるための方法、手段でもないどうしてもリーダーになりたいという人はいつの世にもいるものです。しかし、いつかリーダーになりたいという野心を持ち、その方法として「しもべ」になるとしたら、それも間違いです。そのような行動は、すべてをご存知である神様を侮ることです。大切なことは、リーダーであるかどうかではなく、しもべとして教会の兄弟姉妹に忠実に仕え続けることであることを忘れてはなりません。なぜなら、イエス様にはそのような野心を全く見ることができないからです。ですから、しもべとして仕え続けられたイエス様の姿を見続けることが何よりも大切なのです。
【祈り】《ヨハネ13章》14それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。アーメンライフチャーチ牧師 大谷 信道


side_worship side_info