デイリーディボーション 1月25日(木)

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デイリーディボーション 1月25日(木)

2018年1月25日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 5:3-5
3そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

【ポイント】
①「信仰による義」は「神様の愛」
このポイントについては昨日も学びましたね。しかし、もう少し「信仰による義」の重要性について学んでみましょう。3節と4節をもう一度読んでみましょう。この箇所を道徳的、倫理的な教えとだけ理解している人はいないでしょうか。忍耐、我慢を続けることの大切さについて教えられていると思っている人はいないでしょうか。確かに、忍耐の大切さが教えられていることは事実です。しかし、5節のパウロのことばこそが、教えの中心中心なのです。それは「神様の愛」です。さらに、文脈を広げてみれば、「神様は愛の方なので、私たちの信仰によって私たちを100%受け入れ続けて下さる方です。ですから、どのような試練や困難に直面したとしても、たとえその中でつまずいたり、失敗してしまったとしても、希望を捨ててはなりません。とにかく、神様を信頼し続けていれば、あなたを自分の子どもとして受け入れてくださった神様は、あなたを平安の中に導き入れてくださいます。」となるのです。

②「信仰による義」は「希望」
「信仰による義」がなかったとしたらどうでしょうか。試練や困難は合格者と脱落者をふるいにかける「試験」となってしまいます。ここには希望はありません。あるのは、不安、恐怖、争い、疑いです。信仰の歩みは、神様からの合格を得るための他者との競争、戦いになってしまいます。そこにいるのは主にある兄弟ではなく、競争相手なのです。このような環境の中で「希望」が生まれることはないのです。

「律法の行いによる義」は人間の勤勉さ、競争心にはピッタリとマッチするので、一見すると良いもののように見えます。この世で刷り込まれている「努力した人間だけが報われる」という価値観、倫理観に合うのです。しかし、そこには本当の意味での「希望」も「喜び」がないことは、想像力をちょっと用いればすぐに分かることなのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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