デイリーディボーション 1月11日(木)

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デイリーディボーション 1月11日(木)

2018年1月11日(木)

【通読】
ローマ人への手紙 3:19-20
19さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。20なぜなら、律法を行なうことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。

【ポイント】
①そもそも、初めから律法は救いの手段ではない
律法がモーセに与えられたタイミングを考えてみましょう。エジプトの奴隷状態から救い(贖い)のできごとの前でしょうか、後でしょうか。そうです、後ですね。つまり、イスラエルの民は律法を守ったからエジプトから救い出されたのでないということです。イスラエルの民にとっての史上最大の神様の救いの御業は出エジプトのできごとです。しかし、「律法を守ること」と「救いの御業」とは別物であったことが明らかなのです。

むしろ、神様はイスラエルの民をご自分の民として育てるために律法を与えられたのです。なぜなら、イスラエルの民は400年間以上エジプトの地で、エジプト人の文化、風習、宗教に影響を受けて生きていました。旧約聖書の最初の5書はモーセ五書とも呼ばれ、著者はモーセであると考えられています。ということは、モーセ以前のイスラエルの民は「聖書」を持っていなかったことになります。つまり、エジプトで400年もの年月を過ごしたイスラエルの民は、私たちが一般的にイメージしているイスラエルの民とは全く違う、ほぼエジプト人のような人々であったということです。アメリカなどで日系三世、四世の方に会うと、名字も名前の日本語、外見も日本人と全く同じように見えるのですが、話している言語、嗜好、価値観などは完全にアメリカ人であることがすぐに分かります。たった3,4世代でこのような変化が起こるのですから、400年の間にどのような変化が起こるのかは想像に難くないのではないでしょうか。

ですから、神様は、エジプトの文化に染まりきってしまったイスラエルの民をご自分の民として育てるために律法を与えられたと言うことができるのです。繰り返しになりますが、そもそも、律法は救いの御業の条件として与えられたのではなかったということです。神様はご自分の愛、憐れみ、恵みゆえに、イスラエルの民を救い出されたのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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