デイリーディボーション 1月24日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 1月24日(水)

2018年1月24日(水)

【通読】
ローマ人への手紙 5:1-2
1ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。2またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。

【ポイント】
①神様との愛の関係を真剣に想像してみる
「信仰による義」とは、単に救いの方法(種類)を説明しているだけのことばではありません。「信仰による義」とは神様との愛の関係を表していることばでもあります。「律法の行いによる義」の場合、神様との関係の軸になっているものは減点法による評価です。結果的に優等生は可愛がられ、劣等生は排除されるという差別的な構図が生まれます。一方、「信仰による義」の場合には、神様は点数は見ません。なぜなら、全員が落第生、不合格者だからです。神様が求められるのは、神様の愛に応える者です。ここには、人種、民族、年齢、性別の差もありません。ここには評価、優劣という差別的な構図はありません。愛に満ちた正しい親が、子どもの知能、能力など評価によって、子ども愛するかどうかを決めていないのと全く同じです。

しかし、残念ながら、クリスチャンの中にも「信仰による義」、その根底にある「神様の愛」を味わうことができていない人が沢山いるのです。恐らく、その原因はこの世的な「評価」「点数による優劣」というような感覚を捨てきれないことにあるのではないかと思います。親との関係においても「評価」自分で努力をし、何らかの成果を上げなければ親に褒めてもらえない、受け入れてもらえない、愛してもらえないという「評価」をベースにした関係が当然になってしまっているために、無条件で受け入れられるという神様の愛を信じることができない、想像もできないという人もいることでしょう。

ですから、私たちはそのような古い感覚を捨て去り、神様との愛の関係について真剣に想像し、そのような愛が実在することを信じなければなりません。さもなければ、せっかくクリスチャンになっても、その歩みは「劣等感」「罪悪感」「評価に対する恐れ」がつきまとう、神様が与えたいと思われている平安、喜びとは正反対の歩みに陥ってしまう可能性が高いのです。

あなたは大丈夫ですか?神様に100%受け入れられている安心感、喜びの中を歩むことができていますか?

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship
side_info