デイリーディボーション 1月31日(水)

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デイリーディボーション 1月31日(水)

2018年1月31日(水)

【通読】
ローマ人への手紙 5:20-21
20律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。21それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。

【ポイント】
①律法の本当の役割
律法は自分の「聖さ」や「義」を神様の前に証明するためのものでも、「救い」を獲得するための手段でもありません。しかし、もしそうだとしたら、人間は誰一人として自分の「聖さ」「義」を証明することはできず、「救い」を獲得することができないことになります。聖書から「聖さ」「義」などの神様の性質について知り、同時に、人間の救いようのない「罪」の性質を知れば、人間が律法を行うことで、神様の「聖さ」「義」に到達することなど絶対に不可能であることは誰にでも明らかなのです。ですから、「律法の行いによる義」という教えは、そもそも最初から絶対実現不可能な教えであるという結論に達することができるのです。

イエス様のパリサイ人、律法学者に対する厳しい批判の理由はここにあるのです。つまり、律法自体は神様から与えられた「良いもの」(参:ローマ7章)であるのに、「律法の行いによる義」などという本来の目的とは違うことを教えていたこと、また、彼らの神の聖さに到達できると考えていた傲慢さを咎められたのです。

使徒パウロは、ここで「律法の行いによる義」とある意味正反対のことを教えています。言ってみれば、「律法の行いによる自分の不義の自覚」となるでしょうか。律法を読み、実践してみるときに分かることは、自分の不義、自分の罪深さなのです。そして、自分の不義、罪深さについて正直に認める者は、神様に救いを求めるのです。神様の恵みがなければ、自分は罪の中に滅んでいく者であることに気がついているからです。

②この世の裁判とは逆
この世の裁判では、被告は自分の正しさ、罪のなさを証明して、無罪を勝ち取ります。しかし、神様の裁きは逆なのです。人間は自分の罪深さについて正直に認め、神様の憐れみ、恵み以外に自分が裁きを免れる方法がないと認めた者が、神様からの無罪(罪の赦し)の判決を得るのです。なぜなら、この世では本来無罪の人が訴えられるケースがあるわけですが、神様の裁きについては、人間は全員が有罪が決まっているからです。そこで、無罪の判決を得るには、恩赦(恵み)以外の方法はないのです。

ヨハネの福音書 1章
16私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。
17というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。

ライフチャーチ
大谷信道


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