デイリーディボーション 1月7日(木)

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デイリーディボーション 1月7日(木)

2021年1月7日(木)
ペテロの手紙第一 4:1-2 1このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。2こうしてあなたがたは、地上の残された時を、もはや人間の欲望のためではなく、神のみこころのために過ごすようになるのです。
【ポイント】 ①完璧な模範が与えられている祝福を知る みなさんの中には、尊敬し、模範としている人がいるかもしれません。近頃、若い人たちが、そのような存在の人を「神」と呼んでいるのをテレビなどで目にします。自分では絶対に到達できないレベルの知識、技術などを獲得している人に対して、そのような気持になることは十分に理解できるものです。
しかし、自分にとっては神と思えるような人であっても、その中で完璧は人間は一人もいないという事実を知らなくてはなりません。なぜなら、私たちが、そのような人たちに過度な期待を持つときに、その人物が本当に神でない限り、その期待は必ず裏切られることになるからです。もし、その人物が「自分は神である!」と豪語していたのであれば、過度な期待を持たせた責任はその人にあることになります。しかし、私たちが勝手に誰かを「神」として尊敬したり、「神」としての人格などを期待してしまったとしたら、その尊敬や期待を裏切った責任は、過度(無理)な期待をした私たち側にあることを知らなくてはなりません。つまり、勝手な期待を誰かに押し付けておきながら、その期待が裏切られたと言って相手に失望するという、大変愚かな行為をしてしまっていることに気が付かなければならないということです。
何か完璧(完全)でないものを「神」かのように思い込んでしまう現象を「偶像(化)」と呼んでもいいでしょう。神様は「偶像」を厳しく禁じられました。その理由の一つは先に述べたような「勝手な期待と失望」が起きるからです。例えば、エレミヤ記2章13節、18節には偶像に走ったイスラエルの民ついて「13わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。」「18今、ナイル川の水を飲みにエジプトの道に向かうとは、いったいどうしたことか。ユーフラテス川の水を飲みにアッシリヤの道に向かうとは、いったいどうしたことか。」と記されています。ここから分かることは、偶像の結果として起きる滅びは、神様が積極的に与ええらた罰ではなく、自らが選んだ当然の結果だということです。
私たちには、イエス・キリストという絶対に私たちの期待を裏切らない救い主がおられます。イエス様は、メシアは完璧(完全)であるべきであるという私たちの人間の勝手な期待を裏切ることなく、その期待をすべて負い、完全な者としての模範を示されたのです。ですから、私たちはこの方だけに期待し、この方だけを模範とすればよいのです。イエス様の十字架と復活は、私たちの期待を絶対に裏切らないという証拠なのです。私たちが与えられている祝福を今日もしっかり味わいましょう!
ライフチャーチ 大谷信道


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