デイリーディボーション 10月21日(月)

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デイリーディボーション 10月21日(月)

2019年10月21 日(月)
ピリピ人への手紙  3:17-19 17兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。18というのは、私はしばしばあなたがたに言って来たし、今も涙をもって言うのですが、多くの人々がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。19彼らの最後は滅びです。彼らの神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼ら自身の恥なのです。彼らの思いは地上のことだけです。
【ポイント】 ①キリストの十字架の敵とは? パウロはパウロがイエス様から直接啓示された福音とは別の福音を教えようとしている人たちに警戒するように奨めています。「キリストの十字架の敵」という表現から、パウロはピリピ教会の中に入り込んでいるの「ユダヤ主義者」に気を付けるように教えていることが推察できます。ここで重要なポイントは、ユダヤ主義者は決して「イエス・キリスト」を否定しているわけではないということです。むしろ、イエス様をメシアとして信じ、従っている人々だったと思われます。だからこそ、教会の中に入り込むことができたのです。彼らの問題は、救いを得るために、割礼を受け、ユダヤ人として律法に従う必要がある説いていたことです。つまり、彼らは「律法の行ないによる義」を大切にしていたことになるので、イエス様の十字架での贖いの業は全く意味のないことになってしまうのです。
繰り返しになりますが、ここでパウロから「キリストの十字架の敵」と言われている人々は、クリスチャン(自称)だったと思われます。ということは、現代に生きるクリスチャンもパウロの目からみたら「キリストの十字架の敵」となってしまう可能性があるということです。それは、十字架で自分の罪の贖いとなってくださったイエス様を信じる信仰(愛)以外に、救いの方法を付け足してしまったりすることです。例えば、「洗礼」という儀式、そのしるしとして異言を話すことができるようになる、聖書的な意味とは違う「聖霊のバプテスマ」などが、救いのための条件にように教えられていることがあります。一方、個人的なイエス様への信仰(愛)とは関係なく、人類すべてが救われていると教える人たちもいます。これら、聖書から外れてしまった十字架の理解を教える人、パウロの目には「キリスト十字架の敵」と映ることでしょう。
どのように、人間の心に響く、分かりやすい教えをする教師であっても、どんなに素晴らしい人格者であっても、キリストの十字架の贖いを信じ、自分を愛し十字架にかかってくださったキリストの愛を信じる信仰以外の救いの方法を教える人は「キリストの十字架の敵」であることを知らなくてはならないのです。
ガラテヤ人への手紙2章 「20私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。21私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
ライフチャーチ 大谷信道


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