デイリーディボーション 10月24日(木)

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デイリーディボーション 10月24日(木)

2019年10月24日(木)
ピリピ人への手紙  4:4-5 4いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。5あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。
【ポイント】 ①主にあってしっかりと立つ その2 パウロの「主にあってしっかりと立つ」イメージを、ちょっと長いですがエペソ人への手紙4章から見てみましょう。
「11こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。12それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、13ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。14それは、私たちがもはや、子どもではなくて、人の悪巧みや、人を欺く悪賢い策略により、教えの風に吹き回されたり、波にもてあそばれたりすることがなく、15むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。16キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」
繰り返し学んでいますが、パウロの手紙を「個人(自分一人)」に向けられたものとして読むときに、その中心のメッセージを受け損なうことになってしまいます。なぜなら、エペソ4章からも明らかですが「主にあってしっかりと立つ」という命令は、教会に与えられているものだからです。「自分はしっかりと信仰生活を守れている」と感じている人がいたとしても、その人がちゃんと教会に繋がり、教会が主にあってしっかりと立つために貢献していなければ、その信仰の歩みは単なる「自己満足」になってしまいます。もし、パウロが自分だけのことを考えていたとしたら、かれは自分の信仰の歩みに満足していたことでしょう。しかし、パウロの使命はキリストのからだの建て上げであり、その使命を全うしているときに彼は喜びを覚えることができたのです。これも、繰り返し学んでいますが、パウロが持っている教会観を共有せず、個人の救い、個人の祝福、個人の成功が福音の中心であると勘違いしているクリスチャン(牧師、宣教師)があまりにも多いのです。この世の「自分ファースト」の価値観が、クリスチャン、キリスト教会をむしばんでいるのです。
なぜ、何事にも揺らぐことがないキリストのからだの建て上げが大切なのでしょうか。それは、今日の箇所にある通りです。私たち教会が律法主義によるさばき合い、争いに陥らず、教会の中で主にある愛、主にある赦しが実現しているときに、教会の「寛容な心」がこの世に対する「証し」となるからです。個人の救い、個人の祝福、個人の成功だけが「証し」ではないのです。教会が主に愛によって一致を目指し、一致を目標として努力を続けていることこそが、この世に対する最大の「証し」なのです。
「あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。」(1コリント14:17)
ライフチャーチ 大谷信道


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