デイリーディボーション 10月26日(金)

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デイリーディボーション 10月26日(金)

2018年10月26日(金)

コリント人への手紙第2 2:5-8
5もしある人が悲しみのもとになったとすれば、その人は、私を悲しませたというよりも、ある程度――というのは言い過ぎにならないためですが――あなたがた全部を悲しませたのです。6その人にとっては、すでに多数の人から受けたあの処罰で十分ですから、7あなたがたは、むしろ、その人を赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、その人はあまりにも深い悲しみに押しつぶされてしまうかもしれません。8そこで私は、その人に対する愛を確認することを、あなたがたに勧めます。

【ポイント】
①パウロの苦労を知る
今日の箇所からも、コリント教会の問題の深刻さを知ることができます。問題を起こしていたのは第一コリント5章1-5節に記されている不品行を行っていた者であると考える研究者もいるようですが、「あなたがた全部を悲しませた」としか記されていませんので、はっきりとしたことはわかりません。実際に、第一コリントには、「教会内の分裂を引き起こす者(1-4章)」「偶像にささげた肉についての間違った理解を教える者(8-11章)」「霊的な賜物について間違った理解を教える者(12-14章)」「復活を否定する者(15章)」など、教会全体に悪い影響を与える原因を作っていた者が他にもいるわけです(パウロに反発する人が全てに関わっていた可能性もありますが。)

いずれにしても、ここで重要なポイントは、コリント教会が主体的に問題の解決のために動いたということです。もちろん、パウロの助言もあったのでしょうが、パウロは教会を「支配する(1:24)」のではなく、たとえそれが辛い決断であったとしても、教会が自ら問題を解決のための行動を実行できるように導いたのでしょう。

さらに、パウロは問題の人物に罰を与えるだけでなく、その人のを赦し、慰め、愛するように促しています。この世では、問題があれば、犯人を見つけ、その犯人を処罰したり、追放したりすれば問題が解決したと考えます。しかし、イエス様の教えに従順に歩むパウロはそうではないのです。処罰の目的は「さばき」ではなく「導き(愛)」なのです。実際、さばきを目的としたら、教会からは誰もいなくなってしまうことでしょう。なぜなら、私たち全員が罪深い者だからです。

残念ながら、保守的なクリスチャンが自分の罪深さや、恵みによって救われている事実を忘れ、律法主義的になり、自分たちの判断基準から神様の御心に沿わないと思われる事柄を厳しくさばくようになってしまっている傾向があるようです。人が罪を犯していることを指摘することは子どもでもできます。しかし、イエス様が求められているのは、罪人である私たちが、他の罪人を赦し、寄り添うことなのではないでしょうか。今日の箇所には、現代のクリスチャンにとって極めて重要なチャレンジが記されているのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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