デイリーディボーション 12月15日(火)

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デイリーディボーション 12月15日(火)

2020年12月15日(火)
ペテロの手紙第一 2:3 3あなたがたはすでに、主がいつくしみ深い方であることを味わっているのです。
【ポイント】 ①主のいつくしみを味わう 詩篇34編8節にも「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。」と言う箇所があります。わたしは、この「味わう」という表現が好きです。なぜなら、「主がいつくしみ深い方」であることを「知っている人」「理解している人」はたくさんいるでしょう。しかし、詩編の筆者、そしてペテロは、「主のいつくしみ」は頭で理解するだけのものではなく、食べ物を舌で味わい、食べた物がからだを養うようなものであることを、自らの肌感覚として経験していることが分かります。
さらに、ペテロは、キリストの愛を知し、信じた者は、すでに「主のいつくしみ」を味わっていると語っています。つまり、それは何か特殊な霊的な経験のようなものでも、特殊な訓練や学びが必要なものでもなく、クリスチャンの誰でもが体験できるもの(体験しているもの)であるということなのです。
もし、あなたが「主のいつくしみ」を味うように体験しているという自覚がないのであれば、ぜひ味わってみましょう。今からでも遅いことは決してありません。まずは、不完全さ、ずるさ、強欲さ、自己中心など、思いつくままに自分の罪深さを再度確認してみましょう。クリスチャンになる前の何倍も自分の罪深さ、汚れについて明確に認識できるはずです。このプロセスで、自分の罪の性質の大きさを知れば知るほど、主のいつくしみをより強く味わうことができるはずです。借金が大きければ大きいほど、それを肩代わりしてくれた人への感謝、解放された喜びが大きくなるのと同じです。反対に、「自分がそこそこ良い人間である」と思っている人は、主のいつくしみを深く味わうことが難しいのです。しかし、主の前では「そこそこ良い人」など、一人も存在しないのです。自分がそこそこ良い人間であると思っている人がいたとしたら、単に自分の心の闇、自分の自己中心さ、自分の偽善などにメスを入れていないだけなのです。
自分の罪深さを自覚した人は、例えば1章18-19節に記されているキリストの福音に触れるだけで、主のいつくしみ、あわれみ、愛を味わうことができるのです。「18ご承知のように、あなたがたが父祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、19傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」
ライフチャーチ 大谷信道


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