デイリーディボーション 2020年12月14日(月)

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デイリーディボーション 2020年12月14日(月)

2020年12月14日(月)
ペテロの手紙第一 2:1-2 1ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、2生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
【ポイント】 ①人間の親子関係から「救い」について連想する 自分の経験としてではなく、あなたが理想的な家族に生まれ育つ様子について想像してみましょう。生まれた瞬間から両親の大きな愛の中で育て行くわけですが、自分が本当に良い両親に恵まれたこと感謝し始めるのは何歳ぐらいの時だと思いますか。5才、10才、15才、20才・・・?。もしかすると、両親の苦労や心配などを含めて、彼らの自分に対する愛情を本当に理解できるようになるのは、自分が結婚したり、子どもが与えられたりするような年齢化もしれません。
私たちの天のお父さんとの関係も、同じような傾向があるのではないでしょうか。私たちが未熟なクリスチャンの間は、天のお父さんから何かをもらった時には大喜びしたり、感謝を口にしたりするかもしれませんが、何か嫌なこと、苦しいことに直面したとたんに、その喜びは消え去り、文句を言ったり、 つぶやいてしまったりするのです。また、子どもが親からプレゼントをもらった時には大喜びしながら、しばらくすると飽きてしまったり、別のものを欲しがったりすることがあるように、クリスチャンも救いが与えられたときは感激しても、すぐにそれが当たり前になったり、救いの約束を忘れたかかのような生き方に戻ってしまうことがあるのです。
ここでの信仰の「成長」とは、私たちが天の父の愛、あわれみ、恵みを、どのような困難な状況の中にあっても味わいつつ、キリストの現れの時に与えられる最終的な救いの喜びに私たちの希望をしっかりと置くことなのです。そして、ペテロは、その成長のためには、天の父のことばを日々聞き続けることが不可欠であると教えています。これは、イエス様が繰り返し教えられていた教えであると推察できます。「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイ4:4)
「救い」はスイッチをオンやオフにするようなものではありません。つまり、「私はイエス・キリストを信じます」という言葉を口にすれば、救いのスイッチがオンになるというようなものではないということです。(もちろん、神様の目から見れば誰が救われていて、誰が救われていないのかは明らかでしょう。)しかし、私たちが、様々な困難や誘惑が存在するこの世で生きて行く中で、天の父(キリスト)を愛し、信頼し、救いの約束に希望を置きながら歩んでいる姿を見る時に、私たちは自分の信仰についてある種の確信を得ることができるのです。反対に、自分の日々の生活を客観的に観察した時に、「この人(自分)は本当に神様(キリスト)を愛しているのだな」という感想が得られないとしたら、私たちは自分の信仰(救い)について、改めて見直す必要があるのです。
繰り返しになりますが、この神様との愛の関係を深めるために、みことばが必要不可欠なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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