デイリーディボーション 12月17日(火)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 12月17日(火)

2019年12月17日(火)
コロサイ人への手紙  4:7-9 7私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。8私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。9また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。
【ポイント】 ①何のための「励まし」か? パウロは、自分の手紙をテキコとオネシモに託し、コロサイ教会に派遣しました。その目的はコロサイ教会が「彼によって心に励ましを受けるため」です。それでは、この「励まし」は何のための励ましだったのでしょうか?それは、コロサイにおけるキリストのからだである教会の建て上げの際に、コロサイの忠実なクリスチャンたちが経験した様々な苦労や悩みに対する励ましのほかなりません。
ということは、キリストのからだの建て上げのために労苦しているすべての時代、すべての地域のクリスチャンに、この「励まし」は適用されるということでもあります。反対に言えば、キリストのからだの建て上げの労苦にコミットしていない人には、パウロが与えようとしている「励まし」は関係のないものになるということです。
繰り返し学んでいますが、新約聖書に収められているパウロやほかの手紙には書かれた背景や目的があります。コロサイの手紙が書かれた背景はこれまで学んできた通りで、教会の中に間違った教えが入り込み、キリストのからだの一致が阻害されているという問題です。パウロは、そのような大変状況にあるコロサイ教会の忠実なメンバーに、本当の福音、本当のキリストのことばにとどまり、主の愛によって教会が一致を保ち、更に福音宣教の働きを続けていくことができるように励ましているのです。
私たちは、いずれ天の御国でイエス様や使徒たちと顔を合わせることになります。その際に、私たちは彼らと何を共有し、共感するのでしょうか?そこでの共通の話題は何なのでしょうか?キリストのからだの建て上げのために労苦し、互いに愛し合い、赦し合いながら主にある一致のために努力した人は、イエス様との再会で労苦からの報いとしての慰めを受け、おなじ苦しみを経験した使徒たちと抱き合って涙することになるのではないでしょうか。
これは、あくまでも私の人間的な想像です。しかし、御国でイエス様やパウロと対面するときのことを想像することは、決して無意味ではないのです。なぜなら、パウロ自身がその瞬間にすべての希望を置いて生きていたからです。「7私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。8今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」
イエス様の招きのことばを思い出しましょう。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。27人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」(マタイ16章)
パウロはすべてのクリスチャンが、キリストのからだの建て上げのチームメンバー(同労者)としてキリストから報い(労い)を受けることができることを祈っていたのです。あなたは、このチームのメンバーになっていますか?それとも、フィールドの外で見ている観客のままですか?よく考えてみましょう。
大谷 信道


side_worship side_info