デイリーディボーション 12月18日(火)

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デイリーディボーション 12月18日(火)

2018年12月18日(火)
コリント人への手紙 第2 9:1-5 1 聖徒たちのためのこの奉仕については、いまさら、あなたがたに書き送る必要はないでしょう。2 私はあなたがたの熱意を知り、それについて、あなたがたのことをマケドニヤの人々に誇って、アカヤでは昨年から準備が進められていると言ったのです。こうして、あなたがたの熱心は、多くの人を奮起させました。3 私が兄弟たちを送ることにしたのは、この場合、私たちがあなたがたについて誇ったことがむだにならず、私が言っていたとおりに準備していてもらうためです。 4そうでないと、もしマケドニヤの人が私といっしょに行って、準備ができていないのを見たら、あなたがたはもちろんですが、私たちも、このことを確信していただけに、恥をかくことになるでしょう。5そこで私は、兄弟たちに勧めて、先にそちらに行かせ、前に約束したあなたがたの贈り物を前もって用意していただくことが必要だと思いました。どうか、この献金を、惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しておいてください。
【ポイント】 ①「惜しみながらするのではなく」 私たちは、それが「募金」であっても「献金」であっても、人間のためではなく、神様のために行います。しかし、「神様のため」とは、神様の不足を補うことでも、神様を富むものとすることでもありません。使徒の働き17章にこのようにあるとおりです。「24この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。25また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。」
ですから、「神様のため」とは「神様のために正しいことを行うため」「神様に栄光を帰すため」という意味です。パウロたちが募金の働きを神様の栄光のために行っているということは、8章19節で学びましたね。「19そればかりでなく、彼は、この恵みのわざに携わっている私たちに同伴するよう諸教会の任命を受けたのです。私たちがこの働きをしているのは、主ご自身の栄光のため、また、私たちの誠意を示すためにほかなりません。」さらに、「私たちの誠意を示すため」ということは、私たちは献金を含む人生の様々な場面で、主に栄光を帰しているのか試されているということにもなります。つまり、「惜しみながらする」とは、人に対して惜しむのではなく、神様に対して惜しむことになってしまうのです。
そのような意味で、「募金」「献金」は、私たちの神様に対する愛、感謝、従順、忠実が「口先だけのもの」または「心の中だけでの思い」なのか、「実践を伴う真実なもの」なのかを客観的に確認する機会となっているということなのです。神様は、私たちが「惜しんでいるのか」それとも「喜びながら捧げているのか」を最初からご存知です。しかし、私たちはそうではありません。適当な理由や言い訳を用意して、自分が神様に対して惜しんでいることを、神様の前にも、自分に対してもごまかそうとすることがあります。ですから、パウロが行っているように、私たちが真実な生き方を選ぶことができるように、互いに励まし合うことも必要なのです。終わりの日に、私たちが不誠実な者、いい加減な者として主の御前に立つことを、神様も私たちも望んでいないからです。
自分のささげ方が「誠意を示す」ものになっているのか、自分のささげものが神様に対する「好意に満ちた贈り物」になっているのか、今一度確認してみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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