デイリーディボーション 12月20日(金)

150.60.159.37誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 12月20日(金)

2019年12月20 日(金)
コロサイ人への手紙  4:14-15 14愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。15どうか、ラオデキヤの兄弟たちに、またヌンパとその家にある教会に、よろしく言ってください。
【ポイント】 ①「教団」のあるべき姿を見る 現代における「教団」「教派」の様子を見るとその最大の関心事が教義や伝統を守ることになっていることは少なくありません。しかし、宗教改革によって発生したプロテスタント諸派は、その原点である「聖書のみ」という信仰に立つこと、または「聖書のみ」であり続けることが最大の関心事であるべきなのです。パウロの時代にはすでに様々な異端的な教えが教会に入り込んでいた事実は、コロサイ人への手紙を読むだけでも明らかですね。聖書的であり続けること、キリストのみことばに忠実であり続けることは、決して宗教改革に始まったことではなく、パウロの時代からのクリスチャンたちの闘いであったのです。
現在プロテスタント教会の中にたくさんの教団、教派が存在する理由は、聖書的であり続ける努力の結果であるという見方ができます。宗教改革の始まりまでに、カトリック教会は1000年以上の伝統を持っていました。カトリックはヨーロッパの文化の一部として多くの国に根付き、ヨーロッパ人のアイデンティティーの一つにまでなっていました。ですから、宗教改革は聖書への原点回帰だけでなく、ヨーロッパ人の文化、生活習慣を根底から覆す要素を持っていたのです。しかし、ヨーロッパ人が慣れ親しみ、愛していたカトリック文化をどこまで変えるべきなのかは、宗教改革のリーダーによって温度差があったようなのです。そこで、改革のリーダーが妥協し改革を途中で終わらせるのではないかと感じた場合、別のリーダーが現れ改革を続けて行こうとする中で、新しいグループ(教団)が生まれて行ったのです。現存する多くの教団は、この歩みの産物であると見ることもできるのです。
「プロテスタント」の本質は「聖書のみ」「聖書的であり続けること」です。そして、その取り組みを続けるためには、パウロの時代のように各教会の協力が不可欠なのです。なぜなら孤立した教会は、異端の格好のターゲットになるからです。そして、例えば律法主義的な教えが入り込むと、教会の中には裁き合いが発生し、教会が自滅してしまうのです。反対に、各教会が協力し、励まし合い、イエス様のみことばに忠実な歩みを続ければ、そこには愛、赦しが実践され、救いを求める者が集められるのです。つまり、「聖書のみ」「聖書的であること」は、その結果として愛の実が結び、キリストのからだである教会が建て上げられていくことになるのです。パウロが多くの教会と関り、正しい福音を教え続け、個人としてだけでなく、チームとしての働きを続けていた理由はそこにあるのです。
私たちの知っている教団、教派の最大の関心が先に述べたような「キリストのからだの建て上げ(福音宣教&教会形成)」になっているでしょうか。もし、そうでないとしたら、謙虚に歩みを改め、聖書的な歩みに立ち返る決意と努力が必要なのではないでしょうか。
ラフチャーチ 大谷 信道


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