デイリーディボーション 12月27日(金)

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デイリーディボーション 12月27日(金)

2019年12月27 日(金)
テサロニケ人への手紙  1:7-10 7こうして、あなたがたは、マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になったのです。8主のことばが、あなたがたのところから出てマケドニヤとアカヤに響き渡っただけでなく、神に対するあなたがたの信仰はあらゆる所に伝わっているので、私たちは何も言わなくてよいほどです。9私たちがどのようにあなたがたに受け入れられたか、また、あなたがたがどのように偶像から神に立ち返って、生けるまことの神に仕えるようになり、10また、神が死者の中からよみがえらせなさった御子、すなわち、やがて来る御怒りから私たちを救い出してくださるイエスが天から来られるのを待ち望むようになったか、それらのことは他の人々が言い広めているのです。
【ポイント】 ※昨日の箇所は1:7-9ではなく、3:7-9となってしまいました。申し訳ありませんでした。本日は昨日の個所と合わせ、1:7-10といたします。
①福音の広がりのカギは「模範」となること 今の世の中は「解説者・コメンテーター」と「やじ馬」に満ちています。この両者の共通点は当事者として生きていないこと、問題解決の中心にいるようで、実際は「傍観者」であるということです。残念ながら、キリスト教会も例外ではありません。聖書の解説が上手な牧師・信徒はたくさんいます。牧師の説教や牧会の良し悪しについてコメントする人もたくさんいることでしょう。牧会・伝道の理論について詳しく説明できる牧師もたくさんいます。しかし、牧師・信徒に求められている歩みは、自らが「模範」を示すことではないでしょうか。パウロはテサロニケの教会の牧師・信徒たちが「マケドニヤとアカヤとのすべての信者の模範になった」こと、つまり彼らが福音宣教・教会形成の「当事者」として歩んでいることに大きな喜びを覚え、神様に感謝しているのです。
イエス様の召しは「傍観者」から「当事者」への招きでもあります。「十字架を負う」とは、自分が批判や迫害の対象となる覚悟をすることでもあります。クリスチャンとは、自分の十字架を負ってイエス様に従うことを決心した者だということです。かといって、すべてのクリスチャンが毎日死と隣り合わせの生活をしているわけではありません。しかし、私たちクリスチャンはイエス様の大宣教命令(マタイ28章)と大いなる戒め(マタイ22章)の当事者となることが求められていることに変わりはありません。
ライフチャーチは、一人ひとりがイエス様の忠実な弟子として、イエス様からの召しの当事者として歩むことを大切にしています。教会において、家庭においてキリストの愛を実践し「模範」を示すことが、地域伝道への近道であることを信じ、祈っています。十字架を負う当事者としての歩みこそが「神の国とその義をまず第一に求める」(マタイ6:33)生き方であり、この生き方を選ぶものこそが主の祝福を受ける者であると信じるからです。
ライフチャーチ 大谷 信道


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