デイリーディボーション 12月3日(火)

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デイリーディボーション 12月3日(火)

2019年12月3日(火)
コロサイ人への手紙  3:12 12それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
【ポイント】 ①「それゆえ」の意味を考える 「あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」という教えは、どの宗教、どの国であっても大切な倫理として教えられている事柄でしょう。ですから、ここではこれらの倫理的な教えを実践する「理由」「動機付け」が重要になります。
直前を見ると、第一の動機付けを知ることができます。それは「神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として」です。私たちが「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」を身に着けるべき理由、身に着けたいという動機は、神様が私たちに対してそれらを実践されているからにほかなりません。1章21-22節を復習してみましょう。「21あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、22今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。」
さらに「それゆえ」ということばに、別の理由を見出すことができます。「それゆえ」ということばは、それよりも前のことばを受けているわけですから、パウロのメッセージを正しく理解するためには、パウロが前に語ったことが頭の中に入っていなければなりません。日曜日の礼拝説教の個所でもありますが、どのようなメッセージだったか覚えていますか? 3章10節を見てみましょう。「10新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。」私たちは、主にあって「新しい人」とされ、主に似た者と作り替えられていくことを神様が望まれているのです。これは、決して自然に起こることではなく、私たちが主体的に、積極的に新しい生き方を選び取っていくことなのです。
実は、「それゆえ」には、まだ含まれているメッセージがあります。3章1節の冒頭には「そういうわけで」という、同じようなことばがあります。つまり、パウロは、3章よりも前の内容をずっと頭にイメージしながら話を進めているということです。それは何だったでしょうか。それは2章に見ることができる、「異端的な教え」「間違った福音」への注意です。2章に見ることができる間違った教えのはその性質上、教会のメンバーの間に競争、裁き合いを誘発させるものであることが推察できます。それらは主が望まれている相互愛、キリストのからだの一致を破壊する極めて危険なものだったのです。
つまり、「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」は、「主の愛への応答」「新しい生き方」だけでなく、「主のからだである教会の建て上げ」のために不可欠な教えなのです。キリスト教をこの世から消し去る最も有効な手段は、教会の交わりを破壊することです。教会の中に入り込み、牧師や信徒の悪口や噂話を広めれば、いとも簡単に教会から人が去っていくことでしょう。場合によっては、教会をより良くするための議論から争いや分裂が起きることもあるかもしれません。しかし、皮肉なことに、その議論や争いによって教会が「自滅」することもあるのです。
「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」は、単なる倫理的な教えではありません。私たちが主にあって一つとされることは、福音宣教の柱の一つなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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