デイリーディボーション 12月5日(火)

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デイリーディボーション 12月5日(火)

2017年12月4日(月)

【通読】
マタイの福音書 27:45-50
45さて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。46三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。47すると、それを聞いて、そこに立っていた人々のうち、ある人たちは、「この人はエリヤを呼んでいる」と言った。48また、彼らのひとりがすぐ走って行って、海綿を取り、それに酸いぶどう酒を含ませて、葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。49ほかの者たちは、「私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう」と言った。{ほかの者が槍を取って、イエスのわき腹を突き刺した。すると、水と血が出て来た。}50そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。

【ポイント】
①イエス様は神様から捨てられた
46節の「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という言葉の意味が分からないと感じる人が多いのではないでしょうか。そもそも、神様はイエス様をお見捨てになったのでしょうか。答えは「はい」です。天の父は人間の罪の贖いのために、独り子イエスを犠牲にすると決められたのです。そして、イエス様もその計画を良しとされたのです。

しかし、絶対に勘違いしてはならないことは、これは「出来レース」でも「マジック」でもなかったということです。確かにイエス様はご自身の復活について予め知っていたわけですが、だからと言ってイエス様が人間としての受けた肉体的、精神的な苦しみ、痛みが割り引かれているわけではないのです。これが、イエス様が100%人間であり、100%神であるという点の重要さなのです。イエス様は私たちと全く同じ肉体をもって、私たちが感じる苦しみ、痛みと全く同じものを経験されたということです。私たちが同じお願いをされたらどうでしょうか。つまり、「後から生き返らせ、肉体の傷も癒やしてあげるから、鞭打ち、十字架を経験してくれない?」と言われたらどうでしょうか。「まあ、人類の罪が贖われ、自分のからだも元に戻してくれるならいいか。」となるでしょうか、受ける痛みや苦しみが軽減されることがあるでしょうか。そうではありませんね。

イエス様は十字架の上で苦しまれ、本当に神様から見捨てられる経験をしたということです。人類に贖いのためには、神様から捨てられ、呪われた者とならなければならなかったのです。

②イエス様は最後まで神様を信頼していた
それでは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」ということばは天の父に対する「嘆き」「不信」から出たものなのでしょうか。そうではありません。ご存知のように、このことばは詩篇22篇1節の引用です。1節以降を読み進めると、ダビデの神様に対する揺るぎない信頼の姿を見ることができます。むしろ、イエス様のことばは「私は最後まであなたを信頼します。」という告白なのです。

神様から見捨てられたかのような苦しみ、しかし最後まで信頼し続ける十字架のイエス様のすがたをしっかりと見つめてみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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